――それだけ3.11の衝撃が大きかったということですよね。あらゆる社会問題に取り組まれる中で、どうしてLGBTsのドキュメンタリーの制作を選んだんですか。
十数年前、オランダで同性カップルの結婚式に参列する機会がありました。その時、お役所の人が「あなたたちが誓約書にサインするテーブルの脚は丸や四角、台形などさまざまです。私たちも同じで、互いに違いながらも一つの社会を作っています」とスピーチしました。式には赤ちゃんから高齢者までいて、みんなが祝福している。「これの何がいけないんだろう?」と思いました。幸せな人、頑張っている人を国や権力で否定するのは変だとモヤモヤしたんです。
しばらくして、HIVの勉強会でゲイ雑誌「Badi」創刊元編集長の長谷川博史さんにお会いしました。長谷川さんはゲイカルチャーをけん引してきた人で、カリスマのような方です。ご自身のHIVを公表し、講演や詩の朗読活動を続けています。彼の本や写真集をめくったらとても強烈で、漠然と「この人を残さなきゃ」と思って、またモヤモヤ。そこから1年後くらいにトランスジェンダーとゲイ、パンセクシュアルの友人とLGBTsの映画を観たとき、「素敵だったけど、登場人物のストーリーであって私たちへの理解を深める作品ってないよね」「ちづる姉さん作ってよ」と言われたんです。
――それで、「よし作るぞ!」となったんですか。
無理です! って即答しました。作ったこともないし、そんなことできないって。でも、そこからまたモヤモヤし始めた。私はデビューが報道番組でドキュメンタリーにも関わってきました。「本当にできないかな? ドキュメンタリーならできるかも」と思って、「映画撮りまーす!」って宣言しました。
――実際に撮影して、いかがでしたか。
この映画は3年かけて撮ったんですけど、半年くらい経ったときに「まずい、面白くないぞ」と焦りが生まれました。「なりたい私になりたい」「自分らしく生きていきたい」といったことを皆さんお話するんですけど、これは当たり前のことですよね。みんな「私はワタシ」だし、なりたい自分になりたいでしょう。フラットにLGBTsのことをとらえているつもりだったけど、「LGBTsは特別なことだ」という思い込みがあったことに気付きました。でも、「聞いても分からないな」ではなくて共感できるなら、大丈夫だなとも思いました。映画を観て「僕はゲイだけど、みんな全然違ってびっくりした」と話す出演者の方や「トランスジェンダーのことはよく知らなかった」と驚くレズビアンの方もいました。それは当然のことで、みんな自分のことで精いっぱい。「自分の規格で考えていた」と気付いた方も多いようです。