本書の冒頭で「あなたの『怒り』は何ですか」と問うてみた。怒りはクリエーティビティーの起点。筆者である私の怒りは、攻撃されダメージを負った「社会的に弱い人」をさらに痛めつける人や社会のシステムに向けられている。

 わが国では、「障がいのあるアーティスト」というだけで、さまざまなスティグマ(負の烙印)が付与される。彼らが作り出す作品は、一般の枠ではない障害者枠にカテゴライズされ、バザーという福祉的な市場でやり取りされてきた。

 なぜ、彼らの商品や作品は二束三文的な扱いをされるのか。そして彼らは、なぜ、そんな扱いを受け入れるのか。障がい者の尊厳を認めるなら、彼らが生み出した商品や作品に尊厳を認めないのは、なぜか。個人的な疑問と怒りが、インカーブ誕生の原点である。本書はインカーブを舞台にデザインと社会福祉を架橋しながら話が進んでいく。ゆえに少々ややこしいが、そこが本書最大の見せ場でもある。

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 デザインには常に職業や階級を差別化するために使われてきたという歴史がある。さらに現代の資本主義が容認し推奨したデザインは、コトやモノの値段をつり上げ、差異と特権を与えてブランドにし、ユーザーに過剰な優越感を与えている。むかし、デザイナーとしてその先頭を走っていた私がいうのだから間違いない。クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館のキュレーターであるシンシア・スミスは著書『世界を変えるデザイン』で、「世界のデザイナーの95%は、世界の10%を占めるにすぎない、最も豊かな顧客向けの製品とサービスの開発に全力を注いでいる」と書く。

 しかしデザインに差別化する力があるなら、「非差別化する力」もあるはずだ。いままで障がい者をカテゴライズし、疑問を感じなかった人の意識を変えることができるはずだ。

 私は非差別化する力をもち、デザインを社会福祉に架橋できるデザイナーを「ソーシャルデザイナー」と呼んでいる。その仕事は「社会的課題を解決」するための「意図的な企て」を「整理整頓」すること。利益追求を第一義にせず、社会貢献をおこなうことが最大の特徴である。例えば、社会の悪(児童虐待や労働搾取など)に介入し助長させないようにすることや社会の善(こぼれ落ちそうな人やこぼれ落ちた人の支援)を促進することもソーシャルデザインの守備範囲だ。おしゃれなポスターやコンピューターグラフィックスを作ることだけがデザインじゃない。

 そもそもデザイナーは、富者をもっと裕福にするために仕事を行ってきたのではない。目の前にいる社会的に弱い人のために仕事をするのがデザイナーである。デザインを起動させたジョン・ラスキンやウィリアム・モリスの思想と経済学をからめて学べば、デザイナーは「金持ちや強いやつにまかれたらあかん、こびへつろうたらあかん」ということがわかるだろう。

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 社会に対する怒りが見つかれば、それが社会を希望で満たすきっかけになる。「公憤」という公共の正義から起こる怒りをデザインに込め、社会福祉を実現していきたい。

 本書を読んでささやかな共感がわいたら、すでにあなたはソーシャルデザインの世界に一歩足を踏み入れている。それが本書の企みである。