戦後を代表する俳人、金子兜太さんが先月2月20日、98歳で亡くなりました。自らの戦争体験を語り平和運動にも尽力しつつ、骨太な作品群を世に放ち、前衛俳句の旗手となった金子さん。一方で自由で大らかな文体は、私たちの心にストレートに響く世界観に満ちています。そんな代表作の一部を、金子さんの歩みとともに振り返ります。

桜とレンギョウ
桜とレンギョウ

曼珠沙華どれも腹出し秩父の子

金子兜太さんは1919(大正8)年、埼玉県小川町で生まれ、その後上海を経て秩父で育ちました。金子さんはその秩父を「産土(うぶすな)」と思い定めて、故郷についてたくさんの句を作りました。

・曼珠沙華どれも腹出し秩父の子

金子さんの代表作の一つで、郷里秩父に帰った時の光景から、湧くように出来た句とのこと。お腹を丸出しにした子供達が、曼珠沙華の咲き乱れる畑のあぜ道を走っていく姿に、ご自身のちいさい頃を重ねたそうです。

・裏口に線路が見える蚕飼(こがい)かな

秩父鉄道沿いの風景と、蚕飼で活気づく家の中の雰囲気を合わせた、郷里の匂いがいっぱいの句。蚕飼は、当時の秩父で唯一と言える生業だったと、金子さんは語っています。

・おおかみに蛍が一つ付いていた

秩父一帯には、ニホンオオカミの生存伝承が残っています。金子さんが故郷の産土を思う時に、必ず狼のイメージが立ち現れてくるとのこと。山の澄んだ、凛とした空気の中の狼と蛍で、「いのち」の原始を表現しているのです。

秩父の曼珠沙華
秩父の曼珠沙華

犬は海を少年はマンゴーの森を見る

旧制水戸高校在学中に句作を始めた金子さんは、東京帝国大学経済学部卒業後の1944年、海軍主計将校としてトラック島(現ミクロネシア連邦チューク島)に配属されます。爆撃に晒され食糧補給が途絶え、戦争末期には金子さんの仲間や部下は、次々に餓死していきます。

・犬は海を少年はマンゴーの森を見る

土着の島の少年が、よく犬を連れて歩いていた光景。一見のどかな印象ですが、実際には、米軍機が頻繁に襲来する。マンゴーの大木は爆撃でやられ、海では機銃掃射を受けることもある。本来の住民であるはずの島の人々が、どんな思いをしていたか。逆説的に戦争を語っています。

・魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ

艦攻機の基地のある島のジャングルに、ひっそり積まれていた魚雷。磨かれた鉄の肌の上を、爬虫類が這い回っていた。金子さんの眼でカメラのように記憶した一句が、戦争の一断面を語っています。

・椰子の丘朝焼しるき日々なりき
・海に青雲生き死に言わず生きんとのみ

敗戦の日、島の警備隊の司令部に集められ、敗戦の伝達を受けた帰路。金子さんは、いつも此処は椰子の丘に朝日が当たる場所だったと、茫然と回想していたそうです。そして大学生の頃の、粋がって自堕落になっていた生活を、激しく後悔。生きて償おうとの思いが湧き、赤道直下の海に立つ、雲の峰を眺めた心情を記しました。

・水脈(みお)の果(はて)炎天の墓碑を置きて去る

1946(昭和21)年、金子さんが戦後捕虜1年3ヶ月ののち、トラック島から最後の復員船で帰国した船上の作。このとき27歳、仲間の餓死者への鎮魂を込め、反戦への決意を定めた句です。水脈とは、船の航跡のこと。おそらく金子さんは、トラック島から連なる眼下の航跡を、一生忘れることはなかったのでしょう。

トラック諸島の朝日
トラック諸島の朝日

春北風茫と弁当食べる子ら

戦後、金子さんは日本銀行に復職しましたが、反戦活動や組合活動に注力。自ら形容する「窓奥族」となるも、55歳の定年まで勤務。そして前衛俳句運動の旗手として、季語のない無季の句や、社会性や時代性を盛り込む社会性俳句などに取り組みます。俳句結社も主宰し、俳句評論など怒涛の発信を続けつつ、素朴で骨太、ダイナミックな俳句で、幅広い層の心を掴みます。
そんな金子さんの、エネルギッシュな作品群から、最後に、春気分や人生賛歌に満ちた俳句をご紹介して、その偉業を偲びます。

・春北風(はるならい)茫(ぼう)と弁当食べる子ら

金子さんによると、この「ならい」は東日本、それも関東平野の海岸部中心の方言で、春のはじめの北西風は「春ならい」の季語。子供たちの光景が目に浮かびます。

・れんぎょうに巨鯨の影の月日かな

春に咲く黄色の花と、回想の月日の中に浮く巨鯨の影を重ねた作品とのこと。60代の時の作品とは思えない、スケール感ですね。

・梅咲いて庭中に青鮫が来ている

こちらも、春が海の中で花開いたような作品です。ご自身の家の戸を開けると庭一面の白梅が開花していて、春を教えてくれた。気付くと、庭は海底のような青い空気に包まれていた。いのち満つ、と思ったとき、海の生き物で一番好きな鮫が、庭のあちこちに泳いでいた。そんな句だそうです。

・じつによく泣く赤ん坊さくら五分

列車の中の出来事を、即興で作ったそうです。泣き声で健康な赤ん坊と思い、窓の外の桜の開花に目を細める。そんな金子さんこそが、生きる喜びに満ちていたことでしょう。

・春落日しかし日暮れを急がない

故郷の秩父での、句会の夕暮れの句。まだまだ歳は取らないよの気構えだそうで、なんとも頼もしい世界観です。

・酒止めようかどの本能と遊ぼうか

こちらも愉快な句です。金子さんの言葉によると、60代になり総入れ歯となり、痛風、ぎっくり腰、風邪と続き、医者と相談して食材を選び、酒を止めて。でも、「本能をある程度自由にしておかないと長続きしないぞ、余裕のある禁欲を。」だそうですよ。

・よく眠る夢の枯野が青むまで

芭蕉の本歌取りにも見えますが、「芭蕉は芭蕉、兜太は兜太、ゆっくり生きてゆこう」の心意気を込めた作品でした。「俳句は自由。遊びの要素があってこそのもの」と唱えた金子さん。俳句の世界のみならず、生活の中でそのおおらかさを私たちも大いに真似て、豪快に生きていきたいものですね。

【句の引用と参考文献】
金子兜太(著)『金子兜太自選自解99句』(角川学芸出版)
金子兜太(著) 正津勉(構成)『日本行脚 俳句旅』(アーツアンドクラフツ)

千葉県の春の眺め
千葉県の春の眺め
春落日しかし日暮れを急がない
春落日しかし日暮れを急がない