
そう不思議に思い、月刊文藝春秋でもととなるルポの担当をした平尾隆弘と、単行本の担当だった藤沢隆志に問い合わせてみた。二人とも私の元上司。すでに退社して長い。
なぜ、山本モジミが原作では遠景に退いているのか?
平尾は、遺書そのものの強さとその届けられ方の強さが、この物語の核だから、あれでよかったのだと言う。
小(ち)さきをば子供と思ふ軒氷柱(のきつらら)
平尾は、原作の中にも紹介されている山本の句を電話口で諳(そら)んじてくれた。これは山本が生き別れになった四人の子どもをつらなる小さな氷柱から思い出して詠んだ句だった。
家族の物語はそうした句に感じられる遠景にあるからよいのであって、「夫婦の物語を軸にして書くと作品としては分裂してしまったかもしれない」。
単行本をつくった藤沢も、「モジミを主人公にするという案が、辺見さんとの間で話し合われたことはなかった」と語った。
「山本幡男は、辺見さんが取材を始めた時点ですでに死んでいる。驚くべき遺書の物語を可能にした山本とはどういう人間だったのか、それをラーゲリを生き延びた男たちの証言で彫刻していくことに、辺見さんは全精力を傾けた」
藤沢は、山本が登場する最初のシーンを指し示した。
<山本が目を開けた。禿げかかった頭と白毛のまじった伸び放題の口髭、耳には絆創膏と電線で不細工に補強したぶ厚いまん丸な眼鏡の蔓(つる)がかかっている>
「辺見さんは、歌人でもあったから、どうしても対象にのめり込み詠嘆調になってしまうところがあった。その主観を排してできるだけ客観的にまわりの人々の証言で、山本とあの奇跡がなぜ可能だったのかを描いた。そこにあの作品の妙がある」(藤沢)
辺見じゅんは、『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』の前に、『男たちの大和』(1983年)で戦艦大和をノンフィクションで書いている。そのとき、辺見が言っていたことを平尾はよく覚えていた。
妻たちの側から戦争を描くということは、すでに澤地久枝の『妻たちの二・二六事件』(1972年)がある。それと同じ方法論をとりたくない、と。