映画『ラーゲリより愛を込めて』は観客動員数でまずまずの滑り出しのようだ。
「事実に基づく物語」というテロップが出て始まるこの映画は、戦後12年もたって家族に届いたある「遺書」に関する驚くべき実話がもとになっている。そしてこの映画は辺見じゅん(2011年没)の『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(1989年 文藝春秋)というノンフィクションを原作としている。
が、映画をみて感動した人が、原作を読むと、肩すかしをくうかもしれない。
映画は、シベリア抑留9年の長きにおよんだ山本幡男(はたお)と満州で生き別れた妻モジミの物語が前面に押し出されている。
モジミ役に北川景子、山本幡男役に二宮和也。
新京での別れの場面から、隠岐の島で魚の行商をしながら子どもを育てて夫の帰りを待ち続けたこと、そしてその「遺書」をうけとる場面に至るまで、いやがおうでも、これは夫婦の物語なのだ、との印象を観客はうける。
ところが、原作では、モジミはほとんど登場することはない。
なにしろ、モジミは、本の半ばにならないと登場せず、その「遺書」が届くエピローグで、初めて読者に印象を残すというつくりになっている。
ラーゲリでは、メモや書かれたものは、スパイ行為とみなされるため、戦友たちは、極寒のシベリアで果てた山本の遺書を分担して暗記したのだった。彼らは最後の引き揚げ者として帰国してのちに、モジミの借家を尋ね当てこう言って遺書を届けるのだ。
「私の記憶してきました山本幡男さんの遺書をお届けに参りました」
最初の遺書が届いたのが、1957年1月半ば。以降続々と、ラーゲリで山本と一緒に抑留された男たちが、モジミの家を訪ね、子どもたちへの遺書、母への遺書、そして妻への遺書を届け始める。
辺見じゅんの書いたあとがきを読むと、そもそもこのノンフィクションは、読売新聞社と角川書店が主催した「昭和の遺書」という企画に山本モジミが幡男の遺書を応募してきたことを端緒としているとある。とすれば、山本モジミを取材の出発点にしているのだから、もっと物語の前面に押し出してもいいはずだ。