「ハングリー精神とか人を押しのけて出ていくようなタフさが必要な世界だとしたら、彼はついていけるだろうかという気持ちが心のどこかにありました。大学を出ていれば再就職しやすい」
向井はその条件を受け入れ、受験勉強を始める。入試は3カ月先に迫っていた。家だと気が散るからと、大学の教員をしていた清史の研究室へ一緒に行き、一日勉強をする。帰宅してからも勉強漬けという努力が実り、無事に明治大学政治経済学部に合格。2004年に上京した。
「要領は昔からすごくよかったと思います。なるべく最短距離で行きたい、無駄なことはしたくないというのは今の仕事でも同じです」(向井)
最初にコンビを組んだのは、小中学校の同級生の近藤裕希だった。近藤が東京の大学に受かった05年に二人はNSC東京校の11期生となり、「あじさい公園」を結成。600~700人の生徒の中から、20組、30人ほどが選ばれる選抜クラスに早々に入ることができた。選抜クラスになると先生の指導時間も長くなる。入れなかった人はどんどんやめていった。
選抜クラスに入ったものの、向井は内心では挫折を感じていた。同期にいたシソンヌ、後にチョコレートプラネットを組む長田庄平と松尾駿の面白さはレベルが違った。自分がやっていることでは勝てないとすぐに悟る。では何だったら勝てるのか。考えたのは「若さとビジュアル」だった。
■焦りから厳しく当たり2度の解散を経験する
「彼らは僕たちより年上だったから、若さとビジュアルでは勝てる。でも、若いうちに売れないと負けるから、あと1、2年が勝負だなと」
時間がないと向井は焦っていた。近藤に「もっとこうしてくれ」「こうしないと負けるよ」と、きつく当たってしまうことが増えた。ある日、向井は近藤から告げられる。
「楽しくないし、お前ともうできないわ」
子どもの頃から一緒にお笑いを目指してきた近藤とのあじさい公園は解散。ナインティナイン、ココリコのような中学や高校からの友人コンビのラジオに憧れていた向井の失望は大きかった。
その後、近藤と話し合い、3人ならバランスが変わるのではないかと、06年にNSC同期のりゅーじを加えたトリオ「ブルースタンダード」を結成する。20歳前後の若さと見た目から、すぐに人気が出た。渋谷のヨシモト∞ホールのライブに、毎週レギュラー出演した。