新刊にも図書館が登場するなど、村上春樹と図書館は切っても切れない。写真は村上作品にも登場した兵庫県芦屋市立図書館打出分室(撮影/編集部・大川恵実)
新刊にも図書館が登場するなど、村上春樹と図書館は切っても切れない。写真は村上作品にも登場した兵庫県芦屋市立図書館打出分室(撮影/編集部・大川恵実)

「これまでの作品でも『1Q84』(2009~10年)や『騎士団長殺し』(17年)で父親的な存在が登場するなど、そこは大きなテーマでした。しかし『を棄てる 父親について語るとき』(20年)を書いたことで、そのテーマは村上さんから消えたのでは。父親との葛藤は、やみくろやリトル・ピープルなど作品中の不気味な存在にも関係していたと私は思いますが、今回の作品にはそういった存在も一切出てきません」

■まだ取り込めていない

 一方で、辛口の指摘も。今回の作品は20年から、つまりコロナ禍に書いたものだと村上本人が「あとがき」で語っている。作品では登場人物の少年が壁の存在について「疫病を防ぐためだ」と話す。誰もが新型コロナウイルスを連想する。ただ、川村さんはこう言う。

「その言葉が後のストーリーにうまくつながっていくかと言えば、そうではない。疫病という言葉でコロナを連想する読者をきれいに裏切るならさらに良いのですが、ちょい出ししただけ。書いている最中に起きた出来事はうまくまだ取り込めていない感じがしましたね」

 もう一つ、今起きていることと言えばウクライナ戦争だ。村上作品は、例えば『ねじまき鳥クロニクル』(94~95年)で39年のノモンハン事件を盛り込むなど戦争が影を落とすことが多い。だが、書評家の石井千湖さんは、その要素は今回なかったとしてこう語る。

「現実には戦争が起きていて、春樹さんはそこに関心の深い方だとは思いますが、小説はそんなにすぐに起きていることを反映できるものではないと思います。新興宗教のことを書いた『1Q84』はオウム真理教事件があって15年ほど後。コロナやウクライナ戦争のことは、もう少し時間がたってから作品の中に出てくるのではないでしょうか」

 石井さんは、新作に「より個人的なもの」を感じたと言う。

「過去の長編ではもっと大きな世界の謎を書くことが多かったと思います。(登場人物の)子易さんの設定も、これまでなら戦争体験があるなど複雑な過去を持つものにしたはず。でも、今回は妻子を亡くしたという設定で、個人的な世界を掘り下げる印象を受けました。そんなところも面白く読めましたね」

(編集部・大川恵実、小長光哲郎)

AERA 2023年5月1-8日合併号より抜粋