
6年ぶりに発売された村上春樹の長編小説『街とその不確かな壁』。「村上主義者」にも「初心者」にも好評だった。専門家は新作をどう見ているのだろうか。AERA 2023年5月1-8日合併号の記事を紹介する。
* * *
「今日はブルーベリー・マフィンを買ってきました!」
青谷夏野さん(24)はそう言いながら、紙袋の中から六つ取り出した──。
村上春樹(74)の6年ぶりの長編小説『街とその不確かな壁』の読書会が、発売から3日後の4月16日、大阪・西天満の「水野ゼミの本屋」で開かれた。参加者は、作品に登場するブルーベリー・マフィンを食べながら感想を語り合った。
「水野ゼミの本屋」とは、大阪工業大学知的財産学部の教授・水野五郎さん(57)のゼミ生が運営するシェア型書店と読書会スペースが融合した店。参加したのはゼミ生の青谷さんと松吉蒼馬さん(21)、一般参加の土井信吾さん(43)、水野さん、そして見学としてゼミ生の雑賀美月さん(18)だ。
■思ったより読みやすい
「今回、なんで村上さんは僕の半生を知っているんだろうと思うくらい、自分の人生が描かれているような作品でした。2回の喪失が描かれていますけど、僕も親密な人と急に連絡が取れなくなるような経験を2回していて。びっくりしましたし、えぐられるような気持ちにもなりました」
土井さんはそんな感想を述べた。18歳のときから村上春樹のファンで、ほぼすべての作品を読んできた。新刊は、その中でも1位に躍り出そうなほどお気に入りだという。
村上作品を初めて読んだというのは青谷さん。
「ちょうどイタリアの作家、イタロ・カルヴィーノの『木のぼり男爵』を同時に読んでいたのですが、寓話(ぐうわ)という共通点があると思いました」
松吉さんも初めて。発売日にジュンク堂書店大阪本店が開店する前に行き、一番乗りで購入したという。
「ノーベル文学賞を取ると言われていて、難しい本だと思っていたんです。でも、冒頭は僕と同世代の話で進んでいったので思ったより読みやすかった」
水野さんは、過去の村上作品との違いを指摘した。
「固有名詞が少なくなりましたよね。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)なんて、洋楽のミュージシャンから、ジャズのマニアックな曲名、料理名など固有名詞のオンパレードでした。当時は消費社会でもあり、物を知っていることがステータスになる時代。そういった固有名詞が減ったことで、もっと本質的で内省的で普遍的な物語になっていると思います」