世界の人々は、どのように赤ちゃんを産んで、育てているのだろう。
そんな思いで、ミャンマーの奥地に暮らす首長族からシリア難民まで訪ね歩いて書いたのが本書だ。
これまで私は途上国のスラム、被災地の遺体安置所、殺人事件の現場など、悲しみに満ちた舞台をルポルタージュとして取り上げてきた。
そこは多くの死や涙があふれていた。一方で、真逆の光景もあった。厳しい現場であるにもかかわらず、家族のいるところにはかならずと言っていいほど笑顔があったのだ。
なぜ、こんな状況で人は笑っていられるのか。
ずっとそんなことが気にかかっていたが、深く考えを巡らすことはなかった。独り身だったこともあって、どこか他人事だったのだ。
私が結婚して子供を授かったのは、三十代の半ばだ。難産だった。二日以上、妻は陣痛に苦しんで、途中何度も意識を失っていた。子供が生まれる直前は、精も根も尽き果てたように青ざめていた。傍らにいた私は、お産と同時に倒れるだろうと信じて疑わなかった。
ところが、産声を聞いた瞬間、妻の顔色はみるみるうちに元にもどり、笑顔になって起き上がって赤ちゃんを抱きしめようとした。「かわいい、かわいい」と声を上げて手を伸ばすのだ。
私はその光景を前に驚くと同時に、人間が親になることの尊さと、子供を前にした時の人間の力を感じずにはいられなかった。
妻のこの笑顔と、世界の悲しみの現場にあった笑顔は、どこかに通底するものがあるのではないか。私はふとそんなことを思った。では、子供を産むということはどういうことなのか。育てることはどういうことなのか。
そんなことを知りたくなり、私は三年にわたって世界各国を回りながら、出産と育児の現場を見ることにしたのである。
最初に向かったのは、ミャンマーの森の奥に暮らす首長族だった。日本とはまったく異なる価値観の中で生きる人々が、どのようにお産や子育てを行っているのかを見てみたかったのだ。