
下山:うわ、すごいですね。
塩田:僕にとっては『罪の声』でなんとか首の皮一枚つながったっていう経験でした。
下山:うらやましいです。塩田さんが『罪の声』を書かれたのが37歳の時ですよね。私も文藝春秋にいながら二冊目の本『勝負の分かれ目』(角川文庫)を書いたのが37の時でした。会社の中にいながら書くのはその『勝負の分かれ目』で辞めようと思ったんですよね。というのは、自分が担当している著者にちょっと迷惑がかかってしまったことがあって。編集者が書くというのはどうしてもコンフリクト・オブ・インタレスト(利益相反)の問題がある。それで書くことはずっと封印して来てしまって。
で、文藝春秋が大騒ぎになった2018年に辞めようと。ちょっと遅すぎたっていえば遅過ぎた。そういうことです。塩田さんは33で辞めてるじゃないですか。
塩田:デビューが比較的早かったっていうところは、まぁありがたいなあと思いつつ、その分、なんか隣の芝生は青いで、社会経験の短いところがウィークポイントになってないかみたいなことは常に思ってますね。
下山:いやまあ、出版社や新聞社にいても大した社会経験をするわけじゃない。なので、いいんじゃないでしょうか。
塩田:あははは。そういうお考えだったんですね。拝読してると常に新しい所に取材に行かれているので、僕の中ではその蓄積されたことが、今、松本清張的にばーっと出されていくっていうイメージがあって。清張は前半の40年の不遇を残りの40年で取り返したという人生ですけれども、そういう勢いみたいなものをものすごい感じるんですよね、下山さんの著作から。
下山:ありがとうございます。
ところで、私、先日、銀座の文壇バーの「ザボン」に編集者に連れられていったんです。人生2度目。著者としていくとまったく違う風景が見えて楽しかったんですが、ママに聞くと、今は作家の人でも来てくれるのは、「塩田さんと重松清さんくらい」と。
塩田:ええー? 私、一昨日の晩に行きましたよ! 今月末に閉まってしまうというので。「ザボン」でママに文壇の歴史を聞きながらしみじみと飲むのが好きだったんです。
50年の歴史ですからね。「飲むところなくなってしまうよ」とママには言いました。
下山:私では不足かもしれませんが今度飲みましょう(笑)。フィクションとノンフィクションの「なぜ」を割り続ける対談の続きをやりましょう!
(構成/編集部・藤井達哉)

※AERA 2025年9月1日号より抜粋
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