『2050年のメディア』
『2050年のメディア』

下山:フィクションだったら、こういうふうにきれいにまとまるのにって(笑)。

塩田:そうですね。僕が新聞記者時代に感じていたもどかしさを思い出しました。取材しながら、もしこうならもっと伝わるのになあ、小説ならこう書けるなあって、どうしても想像してしまうんですね。

下山:ノンフィクションは星座を描くことに似ています。星をつくることはできない。しかし、星を見つけ、まったく関係のなかった星と星をつなげ、ある絵を描いていく、そこに独創性があります。

 補助線をひくことで、まったく違う絵が見えてくることもある。さきほどの『2050年のメディア』でも、それまでに読売新聞や渡邉恒雄については散々書かれてきたわけです。しかし、ここに、ヤフーあるいは日経という補助線をひくことで、読売のまったく違う物語が見えてくる。

塩田:なるほど……。あと、「群像」は短編になるのですが、今本当に短編を書かせてくれなくなりました。映像化との相性の問題で。

下山:『持続可能なメディア』(朝日新書)は、もともとは週刊誌の2ページのコラムで、短編を書くつもりで書いている。それを集めて再構成したんです。

塩田:読んだとき、コラムひとつひとつに物語性があることに感心しました。

下山:私は人間のドラマのある調査報道ができないかと模索しているんです。それが物語性につながっているのかもしれません。

「沈没船に乗っている」

下山:塩田さんは33歳で新聞社を辞められたんですか?

塩田:はい。31でデビュー作の『盤上のアルファ』で賞をとって、33で。連載2本確保したら辞めると決めてて、後先考えずに。2本確保したら後はなんとでもできると思ってたんですけど、全く売れない期間が5年くらいあって。

下山:え、そうなんですか。

塩田:『盤上のアルファ』はそこそこだったんですけれども、デビューのご祝儀がなくなっていくと、初版部数がどんどん減って、尻すぼみで。

 そんなときに支えになってくれたのが講談社の編集者たちで、『罪の声』という作品を完成させるまで、ものすごく厳しくしてくれたんですね。「塩田さんは正直言って沈没船に乗ってて、今行かんと消えると思う」ってはっきり言ってくれたんです。

『踊りつかれて』
『踊りつかれて』
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