東大阪大柏原の土井健大監督、ほろ苦い甲子園初陣となってしまった(写真提供・日刊スポーツ)
東大阪大柏原の土井健大監督、ほろ苦い甲子園初陣となってしまった(写真提供・日刊スポーツ)
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 熱戦が続く夏の甲子園も後半戦へ。意外だったのが大阪代表の東大阪大柏原が12日の2回戦で尽誠学園(香川)に0―3と完敗し、初戦敗退したことだ。全国屈指の実績を誇る大阪勢が春、夏とも未勝利に終わったのは45年ぶり。元プロ野球選手で就任7年目にして初の甲子園をつかんだ土井健大監督(36)は誤算だらけだった初采配を受け止め、新たなスタートを誓った。

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 ホームが遠かった。あっという間の1時間50分。大阪大会決勝で、あの強豪、大阪桐蔭を破り、14年ぶりに出場した東大阪大柏原があっけなく初戦で散った。就任7年目となる土井監督が悔しさをにじませながら初陣を振り返った。

 「落ち着いて采配するつもりでしたが、選手をうまくリードし、しっかりとした指示を出せなかった。しょうもない采配しかできず、負けは僕の責任。選手は100点、よくやってくれた」

 実際、拍子抜けしたファンも多かったようでSNSでは不満や落胆の声が多かったが、一方で大阪桐蔭、履正社という2強に風穴を開けたと評価する意見もあった。

 誤算が続いた。その始まりは主将で4番、扇の要でもある竹本歩夢捕手(3年)が左手を負傷したことだ。決戦2日前の10日の練習中に痛みを覚え、有鉤骨骨折の疑いのまま8番・捕手でマスクをかぶったことだ。13日には病院で再検査を受けている。

 「あれで勝ちたいという気持ちから思い出作りというか、選手らに経験を積ませたいという気持ちになった。竹本を8番に置き、その後の展開をどうするか。打順や守備、そちらばかりに気を取られてしまった。試合に入ってからも竹本のことが心配で、いつまで左手が持つのか、いつストップが掛かるのか、そうなったときのことばかりを考えてしまった」

 その竹本は3回に右打席に入り、右手1本で打ちに行って遊ゴロ。土井監督は「竹本で1アウトは覚悟していた。本人にも振らんでいい」と伝えていたそうだが、竹本は「甲子園は小さい頃から憧れていた場所なので、どうしても一塁まで全力疾走したかった。試合に出ないという判断はなかった」と話した。

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