5回、先頭打者が出塁したケースではチグハグな攻撃となった。エンドランの強攻策は失敗に終わり、7番打者に送りバントのサインを出し、2死二塁。このとき竹本をベンチに下げ、1年生の福塚慶翔選手を代打に送ったが、1本が出なかった。この場面は竹本から「もう左手が限界です」と伝えられたそうで土井監督も「勇気のある申し出だった」とうなずいた。
「本来ならノーアウトで送りバントでしょうが、竹本に打順が回ることもあり、その前に1点でいいから取れれば、と考えた。迷いが生じたことは確かです」
直後に、指揮官の嫌な予感が的中する。履正社時代に捕手として高3のセンバツに出場。その後も捕手としてオリックス、巨人でプレーした経験からくるものだった。
「捕手が変わると流れが変わる怖さは分かっていた。いつもなら冷静にバッテリーごと代えていたと思うんですが、先発の川崎が好投していることもあり、継投のタイミングをミスってしまった」
5回裏、好投していたエースの川崎龍輝投手(3年)が簡単に2死を取ってからの二塁打と、申告敬遠で一、二塁。ここで左前へポテンヒットを許し、先制点を奪われるのだが、ポジション取りにも誤算があった。
「試合前には打者によって頭を越されてもいいから前へ詰めようと話をしていた。それが徹底できなかった」
1点を奪われた後、続く打者に対し1ボールとなったところで一塁を守っていた古川恵太選手(3年)へ投手交代。バタバタという印象はぬぐえず、四球の後、2死満塁となり、相手のエースで4番でもある廣瀬賢汰投手(3年)に詰まりながらの左前2点適時打を許した。
負けるときはこんなものか。攻撃では4度も先頭打者が出塁したが、大阪桐蔭の強力投手陣に11安打を浴びせた打線は最後まで狙い球を絞りきれず、つながりを欠いたまま。9回には右翼手の超ファインプレーで攻撃の芽を摘まれた。
「すべてにおいて経験不足、準備不足だった。地方大会でできることが甲子園ではできないこともあり、クーリングタイムでのアドバイスも思うようにできず、タイムの取り方、守備位置の指示なども時間を掛けてでもベンチから大きなジェスチャーで出したらいいのにスムーズに試合を進めなければいけないと、運営側のようになってしまった」