8月6日に行われた平和記念式典のあいさつで、「被爆歌人」の短歌を読み上げた石破茂首相(写真:UPI/アフロ)
8月6日に行われた平和記念式典のあいさつで、「被爆歌人」の短歌を読み上げた石破茂首相(写真:UPI/アフロ)

日本国民は完全に自民党を見放した

 その困難さを考えれば、ここで政権を投げ出さないことの方が難しいという人さえいる。クリスチャンの石破氏が、これを神が与えた試練だと受け止め歯を食いしばって「国民のために」命懸けで政権運営にあたるというのは、石破氏自身の主観としては正しいかもしれないが、客観的に見れば、自分のやりたいことはほとんどできず、ただ首相の座にしがみついているだけということになる可能性も高い。

 万一8月末で辞任となれば、結果的には毎日と読売の報道は大スクープだったということになるわけだ。

 石破氏のことはひとまず置いておいて、自民党・公明党の凋落と国民民主党・参政党の大躍進という今回の参院選の結果は、何を意味しているのかを考えてみよう。

 2009年の民主党政権誕生で自民と民主の二大政党制が定着しそうだったが、野田佳彦首相(当時)の大失態で、これが幻で終わったのが13年前の2012年だ。その後は、自民1強を公明がさらに補強して安定政権が続いたが、失われた30年とアベノミクスの失敗、さらには旧安倍派を中心とした裏金や旧統一教会のスキャンダルで、国民は完全に自民を見放した。自民の生き残り議員たちは、自民復活劇を夢見ているかもしれないが、党内は、野党支持者に期待される石破首相と国民から完全に見放された旧安倍派などの残党の寄せ集めという状況だ。こんな政党が国民の支持を集めるはずがない。「自民はオワコン」という言葉は、非常に説得力がある。ついでに言えば、自民に小判鮫の如くくっついておこぼれをもらっていた公明もまた完全な「オワコン」である。

 二大政党制の失敗に続き、昨年の衆院選と今回の参院選で、自民中心の日本政治という構造は終わったように見える。これからは、多党による連立、連携政治に移行することになったと見るべきではないだろうか。石破政権はその転換を決定づける役割を果たしたところで終焉を迎えたと見る人も多いだろう。

 しかし、ここへきて、石破氏には非常に強い味方が現れた。日本維新の会である。

 こちらも、先の参院選で議席数はわずかに一つ増やしたものの、比例の得票が3年前の前回参院選の半分強まで落ち込み、お先真っ暗という状況だ。その責任をとって、前原誠司共同代表ら執行部が辞任した。前原氏の後任としては藤田文武前幹事長が選出されたが、藤田氏は馬場伸幸衆院議員が代表時代に幹事長を務めた。藤田共同代表なら、馬場氏が裏で国会での動きを仕切るということになるのだろう。

次のページ 維新の副首都構想の「やってる感」