
奄美大島出身のシンガー・元ちとせが、平和を願い、歌い継いできた「死んだ女の子」は、広島への原爆投下により亡くなった7歳の少女を題材にした反戦歌だ。原爆投下から60年を迎えた2005年8月6日に、原爆ドーム前で坂本龍一とともにパフォーマンスしたことでも知られる。戦後80年を迎えるこの夏、同曲の歌唱映像をあらためて公開した元に思いを聞いた。(全2回の2回目/前編はこちら)
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──「死んだ女の子」の歌唱は、デビュー前にも1度プロデューサーから提案されていたそうですね。
元ちとせ(以下、元):はい。でも、そのときは自分が歌うイメージが持てませんでした。タイトルも歌詞も怖くて。そんな私の姿を見て、プロデューサーも私に歌わせることをあきらめたのだと思います。でも広島平和記念資料館を訪れ、意識は変わりました。気持ちを込めて歌えると感じたからです。
──作詞は終戦直後の日本を訪れたトルコの詩人ナジム・ヒクメットさん。作曲は外山雄三さん。過去には高石友也さんらが歌っていますが、元さんが歌うに際して、曲のプロデュースは、平和活動を積極的に展開していた坂本龍一さんに依頼しました。
元:恐れ多くもお願いしてみたところ快く引き受けてくださって、レコーディングをしに坂本さんがお住まいのニューヨークに向かいました。
──レコーディングで印象的だったことはありますか?
元:ストリングスには、あらゆる国の、あらゆる肌の色の演奏家が集まりました。録音を始める前に、坂本さんはメンバーたちに、「死んだ女の子」の歌詞の内容、広島に投下された原爆で命を失った7歳の女の子の歌であること、原爆を落とした側のアメリカの地で録音する意義を英語で説明してくれました。あのとき、スタジオの空気が明らかに変わりました。演奏家たちの集中度は一気に高まった。特別な録音になりました。
──坂本さんとはその後も「死んだ女の子」のパフォーマンスを行っていますね。
元:最初は、筑紫哲也さんがMCの時代のTBS系「NEWS23」(現「news23」)の生放送で、8月6日に日付が変わったときに、原爆ドーム前で坂本さんとパフォーマンスしました。曲の舞台となった場所で歌えてよかった。あのドームを見て、悲しい出来事を思い出してしまう方もたくさんいると思います。それでも、今後二度と同じ悲劇が起こらないようにと、広島の方々はドームを残す決断をしてくださった。その思いには感謝の気持ちしかありません。