井上晴美さん提供
井上晴美さん提供

――長野には何年ぐらい住んでいたんですか?

 4、5年ですね。長野に引っ越したのは1人目の子育てで不安だらけの時でした。最初はママ友の知り合いもいないし、孤独で。育児が楽しいと思えず過酷でしたね。赤ちゃんを抱っこして役場に「病院の小児科はどこですか?」って聞いたら、「子どもは内科に連れて行ってください」って。病院が少ないから内科の中で小児科の症状に対応するんですよね。小さな町なので小児科はなく、不安になりました。そういうことも確認しないと分からない。家はリンゴ畑に囲まれていて、スーパーやコンビニが近くになかったです。冬は寒すぎて外に出られないので、家の限られた空間で子どもを楽しませなきゃいけない。正直しんどいなと感じましたけど、不満を持っても解決しない。だったら都会に住めばいい。田舎で暮らす時は「ないものはないし、どうにかなる」と覚悟するしかないんです(笑)。

コミュニケーションは大事だなあって

――環境に適応しようとする姿勢が大事なんですね。

 でも、住み続けると東京では経験できない楽しいことがどんどん出てくるんです。近所にママ友ができて、いろいろな子育ての話や子どもの病気の話を聞くことで気持ちが楽になりました。畑で農業をやりたいなと思って、近くでトラクターに乗っていた人に「空いている畑ってありませんか?」って聞いたら、「ずっと使っていない畑をトラクターで耕しといたよ」って用意してくれたこともありました。地元の方たちはみんな優しいんですよ。コミュニケーションは大事だなあって。長野は大自然があって、温泉とお蕎麦がある。東京と違って静かに時間が流れる。素敵な場所です。

――お米も作っていらっしゃったと聞きました。令和の米不足のニュースが報じられた時はどう感じましたか?

 お米を作ることで農家の方たちの生活が楽になる体制をつくらないと難しいですよね。私も実際にお米を作って感じたんですけど、稲刈りの機械とか莫大な金額がかかるんですよ。年に1、2度しか使わないので、JAや農機具メーカーがレンタルのシステムを実現できると違ってくる。農機具メーカーや行政からサブスクシステムで農家がレンタルできるようになると、負担が軽減できるのではないかと考えたりしています。

井上晴美さん提供
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