戦争トラウマを語る森倉三男さん
戦争トラウマを語る森倉三男さん
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 戦後80年を経て、ようやく注目され始めた問題がある。「戦争トラウマ」だ。戦地に赴いた日本兵をはじめ、被害を受けた住民も心に大きな傷を負った。戦後、この傷は不眠や悪夢、アルコール依存、子どもの虐待といったかたちとなって現れた。そしてトラウマは、現代にも連鎖しているという。戦争が日本に深く刻みつけたトラウマの実相に迫る。(この記事は朝日新書『ルポ 戦争トラウマ』より抜粋、一部編集したものです。敬称略、年齢は2025年4月1日現在)

【写真】戦争のトラウマ・PTSDに取り組む「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」代表・黒井秋夫さん

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手のひら返しの戦後

 森倉んちのおやじさん、「戦争ボケ」だからな――。兄の友人がなにげなく放った一言が、森倉三男(71)の耳に、いまもこびりついている。

 どんな話の流れでその言葉が出たのかは、もう覚えていない。「悲しいとか、怒りとか、そういう感情じゃない。『恥』の意識だったね」と森倉は言う。

 父・可盛(かもり)は、1919年に北海道・知床半島の小さな町の開拓農家に生まれた。アジア・太平洋戦争が始まる前年に21歳で徴兵された。兵役に最も適し、名誉とされた「甲種合格」で、陸軍の航空整備兵となった。「こんな田舎から航空隊に入る者はなかなかいない。優秀な青年だ」とほめそやされ、家族も鼻が高かったと聞いている。

 出征の際は町を代表して駅前であいさつをし、万歳三唱で見送られた。厳しい訓練を経て、1943年4月に南方へ向けて出港する。その時期はちょうど、国民的人気があった山本五十六・連合艦隊司令長官が戦死した頃だ。アジア・太平洋戦争における日本軍の旗色は、日増しに悪くなっていた。
 

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