
黒井との出会い
2020年、森倉はインターネットでたまたま目にしたサイトに吸い寄せられた。「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」(現・PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会)とあった。「戦争で心が壊れてしまった元日本兵の父のことを語り合う」とうたっていた。「ああ、そうだ、これだったんだ」。森倉は父の姿を思い浮かべた。
すぐに連絡をとり、サイトの管理人に会いに行った。その管理人が、黒井秋夫だった。この頃は、黒井が会を立ち上げてすでに2年が経っていたが、世間から反応はなく、黒井の「孤独な闘い」が続いていた時期だ。森倉は黒井を訪ね、黒井が自宅の庭に建てた6畳ほどの「交流館」で、ひざをつき合わせて、お互いの父のことや自身の家族の歴史について語り合った。いつの間にか日が傾いていた。
「私たちの家族のように、戦後光が当てられてこなかった物語を社会問題として取り上げようとしていた。黒井さんのその意志の強靱さを、感じました」と森倉は言う。その後も数回、黒井を訪ね、情報交換を続けた。
森倉が黒井に触発される一方、森倉の存在も、黒井の背中を押した。「一緒にやりましょうと、初めて声をかけてくれた人だった。ああ、俺のやろうとしていることは間違いじゃなかった、やっと同じ経験をした人に出会えた、という気持ちでした」と黒井は振り返る。
黒井の地道な活動は少しずつ実を結んでいった。森倉が黒井を訪ねた2年後の2022年夏に東京都武蔵村山市のホールで開かれた証言集会には、約250人が足を運んだ。兵士とトラウマの関係について調べている研究者らも参加する中、森倉は壇上でマイクを握った。「父は、人間的な正直さは失われませんでしたが、戦争ですっかり変わってしまいました。心に『戦争の芯』ができていたんです。ありふれた1事例です」。森倉は「ありふれた」という言葉に、「同じ家族はたくさんいたんだ」という思いを込めた。
