朝日新書『ルポ 戦争トラウマ』 本の概要はコチラ
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 後に家族が取り寄せた軍歴によると、父はラバウル、ニューギニア、パラオ、セレベス(現・スラウェシ)など、南太平洋の激戦地を転々としたようだ。敗戦は仏領インドシナで迎え、翌年の1946年5月に復員した。戦地でマラリアに苦しみ、家にたどり着いた時は歩くのもやっとの状態だった。「復員兵には冷たい社会が待っていた。まるで、手のひらを返すようだったと思います」と森倉は推察する。
 

繰り返した戦争話

 父は戦争前に工員をしていた経験を生かして、鉄工所を始めたものの倒産。その後は定職に就けず、農家の日雇いや、冬季の出稼ぎをするしかなかった。近所の木工所で働く母の稼ぎが、何とか家族7人の生活を支えた。暮らし向きはどんどん苦しくなった。

 思うようにいかない暮らしの中で、父の表情に、別人のように生気がみなぎる瞬間があった。「おい、いまから戦争の話をする。座れ」と子どもたちを集め、酒を飲みながら兵士時代の思い出に浸る時だ。土間の薪ストーブの上に置いた鍋から、蒸気がもうもうと上がり、焼酎の瓶を持った父の上気した顔がその中に浮かんでいたのを、森倉は鮮明に覚えている。

 戦闘機の機首部分にある機関銃の弾が、プロペラに当たらずに発射されるのはどんな仕組みか。自分がいかに操縦士に信頼された整備兵だったか。そんなことを、とうとうと話した。「俺がいないと、飛行機は飛び立たない」が父の口癖だった。酒を飲みながら得意げに語った。1週間に数度はあっただろうか。ひとたび始まると、1時間は続いた。寝ぼけ眼の子どもの注意力が少しでもそれようものなら、「真面目に聞け!」と烈火のごとく怒った。
 

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