
「無限」「世界一」など、レシピのネーミングが印象的な人気料理研究家のリュウジ氏。その「言葉」を重視するスタイルについて、意図を語ってもらった。料理論、仕事論を語りつくした最新刊『孤独の台所』(朝日新聞出版)より、一部を抜粋してお届けする。
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これまで語ってきたように、俺はどうしても料理研究家になりたくてなったというわけではありませんでした。
自分が今できることをやっていたら、いつの間にか料理研究家になっていたというのが正確なところです。
シングルマザーの家庭に育って、目的もなくサラリーマン人生を歩んできて、料理人経験があるといってもたったの3カ月。料理の腕は、日々の自炊と、おじいちゃんおばあちゃんを相手にした月2回の集まりで磨いてきただけです。
今の料理研究家業界を見渡してみると、そんな俺の経歴はかなり異色というか、完全なアウトサイダーなのかもしれません。
プロの料理人が家庭向けのアレンジレシピを教えるというタイプでもなければ、主婦としての感覚を大切にしたメニューを発表するわけでもない。ましてや有名な料理研究家の二世でもない。
でも、そんな俺のレシピを歓迎してくれる人たちは、確かに存在するのです。それはなぜか。
理由の一つはおそらく、伝え方です。俺は、人にどう伝えたらその料理を食べたく思ってもらえるかについて、かなり時間をかけて考えてきました。
俺を批判する人はよく「至高のレシピとか、世界一とか無限とか、大げさすぎるだろ」といった類(たぐい)の主張をしています。実際にそういう書き込みもよく見かけましたし、直接意見をもらうこともありました。
彼らの言うことは、論理的にはその通りです。「世界一うまいから揚げ」といっても、世界中の人に食べてもらって決めたわけじゃありません。「無限キャベツ」といっても、無限にキャベツを食べられる人はこの世にいません。