
中国政府に連れ去られた後継者
この町に暮らすチベット仏教の僧侶たちに「次のダライ・ラマ選定」について尋ねると、「中国政府の介入」を懸念する声が上がった。というのも、手痛い前例があるからだ。
89年、チベット仏教ナンバー2のパンチェン・ラマ10世が世を去った。後継者に選定された6歳の少年は中国政府によって拘束され、姿を消した。その後、別の人物がパンチェン・ラマ11世として中国政府によって「発見」された。2020年、中国外交部は姿を消した少年について、「大学を卒業して平穏に暮らしている」と述べたが、消息は不明だ。現在、パンチェン・ラマ11世は中国共産党の意に沿って、「チベット解放」の正当性を訴えている。
なぜ、中国政府はチベット仏教の指導者に対して強硬手段をとるのか。
「欧米、特に米国に対する共産党指導者の強い不信感も一因でしょう」(金牧さん)
米国の後ろ盾をアピール
話は中華人民共和国(中国)が成立した1949年当時まで遡る。共産党政府は50年、チベットに人民解放軍を本格的に進駐させた。反発した一部のチベット族は武装反乱を起こしたが、このとき、米国が介入したといわれる。
「1950年代、CIAは『チベット計画』と呼ばれる秘密工作を行っていた。偵察機をチベット上空に飛ばし、偵察写真を撮影したり、チベット族青年に訓練を施しチベットに潜入させたりしたといわれている」(同)
チベット亡命政府の資料館には、かつてのダライ・ラマの居所であるラサのポタラ宮を上空から撮影した大きな写真が掲げられている。ダライ・ラマ14世が59年にインドに亡命した直後に偵察機が撮影したものだという。
「亡命政府の関係者は、『この写真を見ればわかるように、われわれには米国の後ろ盾がある』とアピールしていた」(同)
両者の関係は中国も把握していたという。
「当時の中国政府の資料を読むと、毛沢東をはじめ共産党指導部が米国に注意を払い、警戒していたことが伝わってくる。今の習近平政権もそうなのではないか」(同)
