第9期名人戦第1局対局場となった熱海・八方苑まで同道した木村義雄名人(右)と大山康晴八段=1950年、静岡県
第9期名人戦第1局対局場となった熱海・八方苑まで同道した木村義雄名人(右)と大山康晴八段=1950年、静岡県
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 注目対局や将棋界の動向について紹介する「今週の一局 ニュースな将棋」。専門的な視点から解説します。AERA2025年7月7日号より。

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 木村義雄十四世名人(1905- 86)は将棋史上屈指の偉人だ。1935年、近代的な実力制名人戦が始まると、圧倒的な実力で名人位に就き、以後は長く第一人者の地位にあった。戦後は日本将棋連盟の会長として、現在にまで続く順位戦の制度を築くなど、将棋界の復興、発展に尽くした。

「闘魂の権化の如き人物」

 作家・坂口安吾は名人戦観戦記「散る日本」で木村をそう喩えた。一方で盤を離れれば、江戸っ子の洒脱さがあった。家族にとっては笑顔のたえない優しい父であり、祖父であったという。

 木村はキャリア晩年の1952年、東京都内を離れ、風光明媚な神奈川県茅ヶ崎市に引っ越した。旧知の記者が新居を訪ねてきたとき、木村は歩いて15分の海岸に案内した。

「あれがエボシ岩だな」「どうだい、いい空気だろう。平素こういうところで体力を整えることも棋士として必要なことの一つだろうネ」(「近代将棋」1952年5月号)

 木村はのちに教育委員も務めるなど、この地域の発展にも貢献している。

 茅ヶ崎は桑田佳祐さんの出身地だ。サザンオールスターズの名曲「ラチエン通りのシスター」をご存じの方も多いだろう。そのラチエン通りにある「茅ヶ崎ゆかりの人物館」では2025年6月7日から9月28日まで「十四世名人 木村義雄展 盤を超えた茅ヶ崎のくらし」が開催されている。木村の劇的な人生をたどり、また木村が愛した茅ヶ崎の風景も見てみたいという方にはぜひともおすすめしたい。

 6月21日には木村の孫弟子にあたる森下卓九段の講演もおこなわれ、偉大な大師匠の遺徳を偲んだ。森下九段は日本将棋連盟の役員として、棋界の発展に尽くしている。藤井聡太現七冠もまた、木村の一門筋にあたる。多くの優れた後進が生まれる土壌を作ったのもまた、木村の功績だ。(ライター・松本博文)

AERA 2025年7月7日号

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