(撮影/写真映像部 佐藤創紀)
(撮影/写真映像部 佐藤創紀)

――松尾さん自身もこの数年は、社会的、政治的なイシューに対して、積極的な発言を続けています。

 恥ずかしい話ですけど、僕も20代まではR&Bを“カッコいい音”として聴くのがメインだったんです。もちろん歌詞も意識してはいましたが、そこまで切実に捉えていたわけでもなく。でも、音楽は侮れないですよ。社会的、政治的なメッセージを含んだ歌詞に触れているうちに、じんわり浸透していくことがある。僕もそのひとり。長い潜伏期間を経て、それが表に出てきたときは、かなり強い症状になっていて。

――音楽人も社会的なことにしっかり関わるべきだと思うようになった。

 そうですね。振り返ってみると、僕も(社会的な問題に関する)いろいろな体験をしてきたんです。これも90年代の話なんですが、メアリー・J・ブライジの『シェア・マイ・ワールド』(1997年)のリリースパーティに参加したことがあって。ニューヨークの会場だったんですが、アメリカ中のラジオ局のDJや音楽ジャーナリストが集まっていたんです。アジアからの参加者はおそらく僕一人だったんですが、世界第2位の音楽マーケットである日本を背負っている気分で(笑)、どうにかメアリー・J・ブライジに近づこうとして。でも、パーティー参加者全員で記念撮影しようという段になって、そこから爪弾きされたんですよ。もちろんレーベルの担当者はそんなことはしませんが、ラジオDJたちに「誰だ、あのアジア人は」と言われて。ひどいなと思いましたが、「俺たちの音楽の祝祭に、アジアから来た音楽ジャーナリストなどお呼びでない」という扱いだったんですよね。

――かなり露骨な差別ですね。

 日本にいると「アメリカではまだ黒人が差別されている」と思いがちだし、それも一つの側面ではありますが、僕自身はアメリカで黒人から差別されたこともある。つまり、ある場所ではマイノリティとして扱われていても、違う場所ではマジョリティとして振る舞う人がいるということですよね。事はそうシンプルではない。20代の頃からそういう経験をしてきたし、差別の構造みたいなことをぼんやりと考えてきたなかで、40代、50代になって、少しずつそれを伝える言葉を見つけてきたんだと思います。

――松尾さん自身も時代の移り変わりとともに変化してきた、と。

 そうですね。ただ、そうじゃない人もたくさん見てきました。そこは日本の音楽業界の問題かもしれない。特定の音楽を追求し続けて音の匠になったものの、“仏作って魂入れず”みたいな人もいますから。大切なのは、音楽に接する以外の時間をどう過ごすか?ということだと思いますけどね。

(撮影/写真映像部 佐藤創紀)
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