(撮影/写真映像部 佐藤創紀)
(撮影/写真映像部 佐藤創紀)

『松尾潔のメロウなライナーノーツ』では、歌詞についてあまり言及していないことを疑問に思う方もいるかもしれません。その主な理由は、国内盤のCDには歌詞と対訳が掲載されていたからなんです。歌詞については対訳を読んでもらうのが大前提で、それよりも僕がやるべきなのは作品のコンテクスト(背景、状況、文脈)を伝えること。「あなたが今聴いているアルバムは、こういう伝統を継承していて、こんな背景がある。そして、この作品が指し示す未来はおそらくこういうものでしょう」というところまで書けていれば上出来なのかなと。そうやって理解を深める一助になればと思っていたのですが、今は配信、サブスクの時代ですからね。作り手側も“どうやって有力なプレイリストに入れてもらうか”と躍起になっているし、アルバムを通して聴く方は徐々に少なくなり、コンテクストも消失しつつある気がしてなりません。

――今も作品の背景はあるとは思いますが、それを伝えようとする書き手も少なくなり、リスナーからも求められない……という状況なのかもしれないですね。

 それも仕方ないかもしれないですね。ただ、少なくとも90年代に作られたアルバムは意図を持って曲順が決められていたし、アーティストもA&Rも「1曲目から最後まで聴いてほしい」と思っていたはずで。R&Bは90年代にピークを迎えたわけですけど、その時期に立ち合えたのは幸運でしたし、その雰囲気をどうにか“翻訳”したいという気持ちもあったんですよね。この本に載せたアルバムの多くはストリーミングサービスにアップされているので、ぜひ聴いてみてほしいです。

(撮影/写真映像部 佐藤創紀)
(撮影/写真映像部 佐藤創紀)

90年代のR&Bに漂う社会性

――『松尾潔のメロウなライナーノーツ』には社会的、政治的な意見はあまり書かれていませんが、たとえばジャネット・ジャクソンのアルバム『ジャネット』の章(「マイケルも嫉妬したであろう、整然とした音の配置」)には、“誇り高きアフリカ系アメリカ人の女として、胸を張って生きることができる”と歌われる楽曲「New Agenda」を紹介し、「批判というものは具体的でなければその名に値しない」と記しています。

 僕も久々に読み返して、「今と同じようなことを書いてたんだな」と感じました。「New Agenda」にはパブリック・エナミー(社会的、政治的なメッセージで知られるヒップホップ・グループ)のチャック・Dが参加していたんですよ。ただ、ラップという表現行為は最初から社会的発信のために生まれたわけではなくて、もともとは言葉遊びが主だったと思うんです。つまりパーティを盛り上げるためだったんですが、黎明期に「これは思想の運び手にも成りうるアートフォームだ」という「気づき」があり、そこからグランドマスター・フラッシュの「ザ・メッセージ」(差別の現状を表現したリリックで知られる楽曲)があり、パブリック・エナミーが登場した。今は“コンシャスなラップ”(社会や政治の問題、哲学的なテーマを扱うヒップホップ)という言い方が浸透していますが、そこに至るまでにはいろいろな過程があったんですよね。

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