7位 灰とダイヤモンド

「灰とダイヤモンド」撮影/写真映像部・高野楓菜 協力/歌謡曲BAR スポットライト 新橋
「灰とダイヤモンド」撮影/写真映像部・高野楓菜 協力/歌謡曲BAR スポットライト 新橋

 第7位は85年リリースの44枚目シングル「灰とダイヤモンド」。所属していた渡辺プロダクションを独立し、東芝EMI(当時)に移籍しての第1弾となった作品だ。独立、移籍が決まり、シングルがリリースされるのを待ちわびたファンは多かった。

「ジュリーが、充電期間を経て再スタートを切ったのが『灰とダイヤモンド』。ずっーと待ちわびていたので、思い出深い歌です」(60代・男性)

「ジュリーが独立したときの決心が詰まった自身による歌詞。これからは売れようが売れまいが自分が良いと思う音楽を追究するという決意の歌です。特に2番の“思い出だけが友達じゃない”は過去の栄光との訣別の宣言であり、何度聴いてもここで涙が出てきます」(50代・男性)

「ザ・タイガースでデビューしてからずっと所属していた渡辺プロから独立、1年近く活動を実質休止してからの復帰第一弾。今までのキラキラしたジュリーとは違ってどこか影があり、見ているだけで切ない感じでファンも不安でした。当時のジュリーの気持ちをそのまま歌詞にしているような……今聴いても切ないですし、当時の映像をみると抱きしめたくなります」(50代・女性)

「ポリドールから東芝にレコード会社を移籍し、それまでのイケイケドンドンな勢いに翳りが見えてきた頃。神戸のコンサート会場は2割ほどの入りだった。それなのに、追加公演があるとの情報があり、翌日早朝からプレイガイドに並び、チケットをゲット。ちょうどその頃リリースしたシングルで、思いがひとしおです」(60代・女性)

 実質、活動休止した一年があったが、それ以降、音楽活動を止まることなく続けてくれている。77歳の誕生日を迎えたいまも、そしてこれからもずっと――。

6位 麗人

 第6位には「麗人」がランクイン。「麗人」を歌う沢田研二が麗人そのもので、チャイナドレス風の白い衣装をまとい、三つ編みの付け毛に、紫のアイシャドーのメイク。昭和の時代は男性メイクが一般的ではなかったが、沢田だけは受け入れられていた空気感があった。

「見るたびに度肝を抜いてくれたジュリー! 三つ編みのお下げと振付がとっても似合ってました! 曲もポップで大好きです」(60代・男性)

「歌唱力はもとより、ファッショナブルの極みだったジュリー。新世代の作曲家・後藤次利氏を起用した、斬新でカッコいい今聴いても色褪せないナンバーのひとつだと思います。“あれもタブー、これもタブー、たったひとつ愛するだけ”という阿久悠さんの詞もジュリーのキャラクターを引き立てていると思う」(50代・女性)

 当時は、斬新などという言葉では片付けられないくらいの衝撃だった「麗人」だが、多様性が浸透する令和の若者にも刺さっていて、20代女性からはこんな“称賛”の声が。

「初めて見た時に、白い王子様のような衣装と、三つ編み、お化粧になんて美しいんだ……と衝撃を受けました。私は20代なのですが、昭和にもこんな人がいたのだなと驚きでした。とにかく美しくて大好きです。そして、歌詞の一発目が“結婚という言葉はタブーにしよう”というフレーズから始まるのもどういうこと!?となり衝撃でした」(20代・女性)

 10~6位のたった5曲だけでも様々な姿をみせてくれた沢田研二。TOP5は曲とともに順番にも注目だ。

こちらの記事もおすすめ 【もっと読む】ジュリー・沢田研二の「好きな曲」ランキングTOP5 甘い歌声の「渚のラブレター」を超えた一曲は?【1980~58年シングル編】
[AERA最新号はこちら]