初代 黒ひげ危機一発(© TOMY)

 実は「黒ひげ危機一発」のルールは「原点」の1975年から何度か、変遷してきた。きっかけは1976年からテレビで放映されていた某クイズ番組。その影響で「飛び出したら負け」というルールが世の中に浸透したことだった。

「そこで1979年には『飛び出したら勝ちまたは負け(遊ぶ前にどちらにするか決めてから遊んでください)』に変更され、1995年の20周年で『飛び出させたら負け』と正式にルール変更が行われたんです」

 つまり、世の中の認識に合わせる形でルールを変えてきた。そして2025年、「原点回帰」の意味で、再び「勝ち」へということか。しかし、こんな見方をする人もいる。

「ルール変更を経てきた背景には、時代精神の変化がある。そう見た場合、今回の『勝ち』への変更は『原点回帰』ではないと思います」

 こう話すのは、社会学者で筑波大学教授の土井隆義さん。どういうことなのか。まずは「剣で樽の中の縄を切り、海賊の親分を救出することが、『勝ち』だった1975年頃はどういう時代だったのか。私たちは何を望んでいたのか」を考えると、見えてくるものがあるという。

「経済も右肩上がりで、人は自分なりのユートピアを求めていました。ただ一方でその道を邪魔する社会的な縛りも強く、『そこから解放されたい』という不満も強かった時代。ですので、社会のシステムに縄でがんじがらめになっていることに対して剣で断ち切り、解放してあげるのは『良きこと』であり、価値あることだったんです」

黒ひげ(© TOMY)

 自由でいさせろ。そんな「不満の時代」においては良きことだから、「勝ち」だった。しかしその後、勝ち負けを選択できる変更を経て1995年には「負け」に正式に変更された。なぜか。土井さんは「1995年だったことは実に象徴的」と話す。

「この頃から、時代精神が変わってきた。『自由になること=解放』ではなくなってくるんです」

 1980年代後半以降、時代は右肩上がりではなくなりつつあった。そして国鉄などいわゆる三公社は民営化され、教育は「個性の時代」が叫ばれ個性化教育へと舵を切っていく。世界を見てもベルリンの壁が崩壊するなど、グローバル化。さまざまな面で流動化、自由化が進んだのがこの頃だ。

「ポイントは、流動化や自由化が進んだのは、私たちの日々の人間関係についても同じだということ。そういうとき、人は『縛られているもの』を失うと解放を感じるか。そこに生まれるのはむしろ、不安なんです」

 安定した人間関係の中に、安定した居場所が欲しい。不安にさせないでほしい。逆に「ちゃんと縛っていてほしい」──そう思い始めたのがこの時代だと、土井さんは指摘する。

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