2500年前の思想家・孔子の教えをまとめた「論語」は、生き方の指針となる言葉の宝庫だ。「仁(=思いやり)」を理想の道徳とし、苦しんでいる人の導き方や、苦境に立たされた時の責任の取り方など、迷える現代の子育てにも役立つ言葉がたくさんちりばめられている。親の悩みに対する処方箋として、中国文献学者の山口謠司先生が、論語の格言を選んで答えるコーナー。今回は、「物欲の強い5歳児への対応」について聞いてみた。
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【相談者:5歳の息子をもつ30代男性】
物欲が強い幼稚園児の息子。おもちゃ売り場にいくと「あれも」「これも」と、3個も4個も欲しがります。我慢させようと「サッカー(習い事)を頑張ったら買ってあげるよ」などと諭していますが、「報酬がなければ努力しない子」にならないか心配です。本人にどう言い聞かせたらよいでしょうか。
【論語パパが選んだ言葉は?】
富と貴(とうと)きとは、是(こ)れ人の欲する所なり
其(そ)の道を以て之(これ)を得ざれば、処(お)らざるなり (里仁第四)
【現代語訳】
誰もが裕福になり、高い地位に上りたいと願うものである。しかし、しかるべき方法によって得なければ、その地位に安住していられない。
【解説】
5歳にして「物欲が強い」とは、まさに「後生畏るべし」(=後から生まれた者は、将来、どこまで伸びていくかはかり知れないほどの可能性に満ちているから、おそれなければならない)というべきでしょう。
孔子は「富と貴きとは、是れ人の欲する所なり」(=裕福であることと高い地位につくことは、誰もが欲しがるものである)と言っています。物欲も、ほとんどの人が満たしたい欲求に違いありません。「欲しいものは何でも手に入れる!」。それくらいの熱量があるほうが、生きていて楽しみがあります。
孔子は、人の「欲」を決して否定していません。問題なのは、財産や地位を得るための手段・方法なのです。「富と貴きとは……」の後には、こう続きます。
「其の道を以て之を得ざれば、処(お)らざるなり」
「正しい道によって得た富、地位でなければ、そこに安住していられない」という意味です。「道」なんて言われると、抽象的すぎて分からないと思われるかもしれません。しかし、仁徳にかなった「人の道」を歩いているか、外れたことをしているかは、本人が「感じる」もの。もし、それが感じられない子どもであるとすれば、それこそが問題です。
親が子どもに教えるべきことは、基本的な「人としての道」なのです。
盗んではならない。父母を敬わなければならない。うそをつかない。人に挨拶をする。感謝の気持ちを忘れない。自分だけが欲張らない……。これらは「論語」に記される普遍の教えです。細かいことを挙げればきりがありませんが、子どもの頃から教えておかないと、成長してから子どもが困るでしょう。
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