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 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子さんの連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「エゴン・シーレ」について。

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「戦いは終わった。私の絵は、世界中の美術館で展示されるべきだ。」

 二十八歳という若さでスペイン風邪により亡くなったオーストリアの画家、エゴン・シーレの言葉である。

 四月九日まで東京都美術館で開かれていた展覧会をどうしても見たくて上野へ出かけた。葉桜の通りを抜けて。

 予約した水曜日の午後四時に入口に並んだ。私はエゴン・シーレの持つ不安感が好きなのだ。展覧会のポスターにもなっているほおずきを背にした自画像にも感じられるが、主人公は怯えたような表情を見せている。自信とは裏腹に、底知れぬ不安が見え隠れする。

 それはシーレ自身のものというより、私自身の不安とも重なっている。確かとも不確かともとれる線で描かれた自画像の目の異様な輝き。エゴン・シーレとは何者だったのか。

 彼が好きだった画家を見てもわかる。

 ゴッホとムンク──ゴッホの狂気とムンクの恐怖をシーレはあわせ持ち、なおかつ生来の病的な感覚が見るものの不安を揺さぶる。

 彼に初めて出会ったのは、父の持つ画集だった。私の父は画家志望だったが、代々軍人の家の長男で、子供時代画学校へひそかに通ったが、父母に見つかると、いっぱい水を張った洗面器を持って廊下に立たされ、陸軍幼年学校から士官学校へと軍人の道を歩まざるを得なかった。その書斎はアトリエで、欧米の画家の画集と、描きかけの人物像や風景などの油絵で溢れていた。

 その中で私はシーレに出会ったのだ。

 実物をこの目で確かめたのは、チェコの世界遺産の美しい小さな都市チェスキークルムロフであった。

 二〇〇九年の十月、私はオーストリアのリンツで開かれた国際ペン大会に出席するため、チェコから車でリンツへ向かっていた。

 途中運転手がチェスキークルムロフに寄ってくれた。川に沿った道を下っていくと、古い木造の建物で、エゴン・シーレの展覧会が行われていた。シーレの母親の故郷がチェスキークルムロフだとのちに知ったが、誘われるように扉を押し、誰もいない室内に入った。

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