
アナウンサーをやっていてよかった
――アナウンサーという仕事は特殊で、会社員でありながら大勢の視聴者に見られる存在です。記者の仕事でもいろいろな意見をいただくことがありますが、アナウンサーの方に届く声はその何倍も多いと思います。
言葉はブーメランなので、乱暴に投げてしまうと、それが強く自分に返ってきてしまう。声のトーン、単語一つを取っても、自分の発する言葉には常に責任があると思っています。
事業運営をしていると、アナウンサーをやっていてよかったと思う瞬間がたくさんあります。何かを伝えたときに自分が想像していた意味合いとは違う捉えられ方をすることもありますよね。そうした言葉の持つ体温や重みを知っているからこそ、事業を運営するときにも気をつけられるようになりました。
――郡司さんは「物事をジャッジしない」ことを大切にしているとお聞きしました。ジャッジしたほうが楽なときもあるような気がしますが、どうしてそう思うようになったのですか。
これまでにジャッジしすぎて、疲れちゃったんだと思います。たとえば自分のキャリアでも、思い通りにできたかどうかを常にジャッジしていました。人に対するジャッジというより、自分自身にジャッジしすぎて、しんどくなってしまったんです。
キャリアを積むにつれて、いろんな働き方をしている人と出会って視野が広がったことも大きいですね。どんな生き方もかっこいいと思えたし、自分と違う選択をした人へのリスペクトがどんどん膨らんでいきました。
欠けているものにフォーカスすると、その「欠け」がどんどん大きくなってしまいます。キャリアを積むなかで、欠けにフォーカスしないことを覚えた気がします。
――欠けがどうしても気になったときは、どうしていましたか。
私の場合は、見える化すると楽になるんです。アナログですが手帳を愛用しています。「こういうことをやりたい」「でもできていない」「なぜできていないか」「なぜできないとモヤモヤするのか」「やるためにどうすればいいか」を言葉にして書き込んでいくことで、やるべきことが見えてくるというか。モヤモヤしている状態が一番エネルギーを使うので、モヤモヤは言語化していますね。

このままだと自分のことを嫌いになりそう
――自分を掘り下げて分解していくんですね。そうしたなかで、郡司さんは自分のことを嫌だなと思ったことはありますか。
ありますよ。Audireは、「このままだと自分のことを嫌いになりそう」という焦燥感から生まれました。
当時コロナ禍だったこともあり、思い描いたアナウンサー像と違うキャリアに進んでいるような感覚があったんです。「違う」というのは、先ほどの欠けと近いことだと思っています。欠けにフォーカスすると、どんどん負の連鎖に入ってしまう。
自分を嫌いになりそうだからこそ、ちょっとでも自分を肯定するために「何かをしている」感覚だけは与えてあげたいと思ったんです。それで番組の企画書を書き始めたら、巡り巡ってAudireにつながりました。
――最初は番組の企画書だったんですね。いろんな物事を前向きに進めている郡司さんですが、「嫌いになりたくない」「こうなりたくない」というネガティブな言葉が起点になっていたんですね。
「〇〇みたいになりたい」というよりは、「〇〇したくない」という後ろ向きな思いが発端となって、行動していくタイプかもしれません。でも、「ない」から生まれるものも、すごくたくさんあると思います。
(AERA編集部・福井しほ)
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