
空中飛行に、狐の妖術。室町末期を生きた細川政元は、足利将軍を追放するなど戦国時代の引き金を引いたキーパーソンでありながら、魔法習得の修行に没頭した、史上稀に見る権力者だ。
室町末期に詳しい古野貢教授は、著書『オカルト武将・細川政元』の中で、政元が会得に励んだ呪術「飯綱の法」について言及している。
新刊「『オカルト武将・細川政元 ――室町を戦国に変えた「ポスト応仁の乱の覇者」』(朝日新書)」から一部を抜粋して解説する。
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政元が会得に励んだ飯綱の法というのは何なのでしょうか。これは千日豊前(ぶぜん)という修験者が創始したもので、三年にわたって山籠りを体験し、山霊の啓示によって体得した「霊力」や、山中跋渉(ばっしょう)・荒行によって鍛錬した「体力」、「忍耐力」、「軽捷俊敏な身のこなし」や「跳躍力・走法」など、すべて体験に基づく天狗道の実技を主体としたものを指します。
このほか、「木登り・岩登り」、山中のあらゆる物と同化する「隠形」、(若干の)「飛翔力」、さらに山の気と融合する「超能力」、「天文」、「星占」、「透視」、「合気道」などの能力が含まれています。
一般的には山育ちの者でなければ到り得ない行法であったと言えます。そこへ、祈祷、調伏(ちょうぶく)などの愛宕(あたご)の法に習熟した呪術者が加わって法験を加味したと考えられています。飯綱の法と愛宕の法が一体視されるのは、こうした背景があったからなのでしょう。
まず飯綱の法は、「木曽路名所図会」に出ている「山神えのころ」と同じ獣とされる土俗信仰の「管狐(くだぎつね)」を使う呪術だったとされます。イヅナ(エヅナ)と呼ばれる霊的な小動物を駆使して託宣や占いなどを行う民間の宗教者が使った法術のことを指しますが、一種独得の超能力を生む行法であり、邪術の類とみなされることもあったようです。
一方、愛宕の法は、印度の妖巫(ようふ)「ダキニ天の法」を加味した狐を使う妖術です。京都の愛宕山には「愛宕の法」に通達した呪術者たちが存在しました。愛宕の法と飯綱の法を結びつけたのは狐妖であったと考えられます。これに愛宕の呪術師たちが、ダキニ呪法を結びつけました。そして飯綱の法は京都に持ち込まれるまでになったのです。
さてその一方、狐を用いる飯綱の法であるとか、あるいは空を飛んだというようなことなどは、本当にそれが政元の身につけた特別な能力であったというよりは、「不可思議な存在になった政元を表現する一つの例」であったのでは、と考えられます。政元自身が実際に空を飛んだということではもちろんありません。
越後国へ行った際に、一部で「この時に政元は空を飛んだのだ」と言われているのは、すでに紹介した通りです。事実としては歩いて行ったはずなのですが、どうしてそんなことを言われてしまうのかといえば、政元が体得したと言われている能力があって、そこから話が作られていったのだと考えられます。
『オカルト武将・細川政元』では、政元が織田信長よりも先に実行した「延暦寺焼き討ち」、将軍追放のクーデターにおける日野富子との交渉などを詳述。教科書には載っていない、応仁の乱から信長上洛までの「空白の100年」を解説しています。
