
友利さんの感想は沖縄の置かれた状況を生々しく伝えるとともに、当時5歳だった天皇陛下が「おかえりなさい。」という言葉を選んだ、その重みが伝わってくる。
山本さんの本には、浩宮さまと豆記者が長年かけて交流を重ねた交流の記録がつづられている。
たとえば、幼い時期の浩宮さまはその可愛らしさで、中高生や大学生になるとユーモアで、豆記者の子どもたちを和ませた。
66年に元赤坂の東宮御所を訪ねた豆記者は、〈浩宮様のかわいらしい声が、緊張を破る〉と感想を記し、77年8月に軽井沢のプリンスホテルを訪ねた豆記者たちは、高校生になった浩宮さまの人気ぶりや、この頃からユーモアたっぷりに交流する当時の浩宮さまについて感想を残している。
〈浩宮様は、女子の間に人気があり、ひっぱりだこになった。歌もすごくうまかった 白保中 三年 下地りき子〉

また、「豆記者」の男の子が友だちを指して、「コアラに似ていませんか」と話題を振ると、浩宮さまは、「そういえば、オーストラリアで会いましたね」と、スマートに返す場面もあった。
天皇陛下(当時は浩宮さま)が初めて沖縄を訪れたのは、1987年。27歳の時だった。
浩宮さまは、沖縄で開催された夏季国体への出席とともに、「国立沖縄戦没者墓苑」や平和祈念資料館、女学生らの慰霊碑「ひめゆりの塔」などの戦跡を訪れた。
沖縄は、太平洋戦争末期の日米最後の激戦地で、当時、県民の4人に1人が亡くなっている。
秋の国体に向けて昭和天皇や皇太子(上皇)ご夫妻の訪問が予定されるなか、過激派は、「天皇訪沖反対」を掲げ、反対のデモや集会が開かれていた。
浩宮さまが羽田空港から沖縄へ出発した日も、空港周辺では500人近い過激派グループが、「訪沖阻止」を叫び気勢をあげていた。