
天皇、皇后両陛下と長女の愛子さまが、戦後80年にあたり、6月4、5日と沖縄を訪問し戦没者を慰霊されている。ご一家は4日、激戦地の糸満市に向かい、国立沖縄戦没者墓苑の納骨堂に献花台に白いユリの花を供えた。夜には、宿泊先の那覇市のホテルで、かつて交流した「豆記者」の経験者とも再会された。天皇陛下が幼少の頃から、積み重ねてきた沖縄との「絆」を振り返る。
【写真】愛子さま 赤のリップが美しい!水色パンツスーツが「カッコよすぎる」のため息
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1965年の夏、沖縄から来た当時中学2年の友利直美さんは、警戒の厳しさに驚きながら、軽井沢の千ケ滝プリンスホテル(当時)の玄関に到着した。
沖縄と「本土」の小中学生が互いの土地で取材する「豆記者」に選ばれた友利さんらは、当時の皇太子であった上皇さまと美智子さまとの面会を前に、ひどく緊張していた。
〈緑に囲まれたホテルの玄関まで来たとき、私たちは、思わず「まあ!」と声を出してしまった。
玄関には、小さな日の丸が並んでかかげられ、「おかえりなさい。」と書かれた子どもの文字が目に入ったからだ。
浩宮さまがお書きになられたのだろう。そのことで、緊張していた私の心も、少しは和らぐように思えた〉(『新天皇ご一家の素顔』)
沖縄から来た豆記者の子どもたちと皇室の交流の記録をこの一冊の本にまとめたのは、当時、都内で教員をしていた山本和昭さん(95)だ。
沖縄と本土の小中学生が互いの土地を訪れて取材する「豆記者交歓会」は、沖縄が米軍統治下にあった1962年にスタートした。山本さんは、この交歓会の発案者で、皇室と子ども達が交流するきかっけをつくった人物でもある。
豆記者として、若き日の上皇ご夫妻や幼い浩宮さまと交流をした友利さんは、
〈殿下もおっしゃったように、祖国復帰はきっと近いうちに実現できる〉
と振り返り、東京に向かうバスの車窓から軽井沢の景色を眺めながら
〈きっと、もう一度、むずかしい手続きや、パスポートがいらなくて、簡単に来ることができることを祈って!。〉
と、その思いをつづっている。
