佐藤さんの原点となった、2003年に撮影された「エリア51」の展示の前で(撮影 写真映像部・松永卓也)

物事を文脈でとらえる

 自分の心に忠実に、世界中の “奇妙なもの”を写真に収め続けている佐藤さん。いったいどうやって見つけてきたのかと首をかしげたくなるような被写体も多い。

「常にそれは言われます(笑)。でも多分、アンテナがやや人より広いだけなんです。ヒントはいろんなところにいっぱいあって、自分の場合は、これはちゃんと撮ったら面白いんじゃないか、というようなことがある。普通の人……という言い方はおかしいんですけど、でも普通は引っかからないだけだと思うんですよ。番組のロケとかでもたまに、移動中に本来全然ロケ予定じゃなかったところで、あっ、て思うことがあるんです。僕が何も言わなかったら通過して終わりなんですけど、そこで止まる勘、みたいな何かがあるんだろうなと思います。

 あとは、一部ではすでに知られているものだったり、写真には撮られているものだったりしても、それがどういうものなのか、全体のなか、文脈のなかでの位置付けが意外となされていないものってけっこうある気がするんですよ。

 例えば今回展示しているなかで言うと、女性が拒否するように手を出している写真は、(中央アジア・カザフスタンの)セミパラチンスクというロシアが核実験を何回もやっていた場所で撮影したものです。原爆との兼ね合いで日本でも紹介されているところで、行ってみたら広島市との友好の碑も建っていた。ただその場所を、報道でもなく、かといってストイックなドキュメンタリーでもなく、自分みたいな立場で絵として撮りに行く人は、意外といないのかなと思います。

 僕のなかではさらに、セミパラチンスクで起こっていることと、カザフスタンで宇宙ロケットが打ち上がっていることに、ある種の文脈がある。一方は発電のエネルギーとして作られたものが爆弾になって悲惨な結果を生み出し、もう片方はミサイルとして作られたものがいま宇宙に行く推進力になっている。そのパースペクティブで見ると、小さな人類文化史みたいなものがあるんですけど、それぞれは、あまりそういう視点を意識して見られているものではないのかなと。

 ただ、僕はジャーナリストになれないし、なりたくない。極めて無責任な写真家という立場で、見るだけ見て、基礎情報は一応提示したうえで、どう考えてもらうか、それぞれが感じるところはみなさんにお任せする。僕が何かを代弁する人になってしまうと、身軽さが失われてしまう。もちろん、一切知られないよりは、知られたほうがいいという、ギリギリ最低限のジャーナリズムみたいなのはもしかしたらあるかもしれませんけど、それ以上の何か、例えば現地の人にコミットして、というところまでは、自分はできないかなとは思っています」

 知りたいという気持ちと、それを伝えたいという気持ち。人にはどちらもあると思うが、「自分の『知りたい』のほうが、ずっとでかいですね。10・0ぐらいで。これを見てほしい、みたいな気持ちは、限りなくゼロに近いです」。

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