今年2月にCanon EOS R1で撮影された、裸で爆竹を浴びる過激な台湾の奇祭「寒単爺」。これら最新の「奇界遺産」的な作品に始まり、原点である03年のエリア51に戻っていく写真展では、自らフィールド音とシンセサイザー音を合成したという音が静かに響き、佐藤さんが紡ぎ出す世界に吸い寄せられそうになる©Kenji Sato

環境をつくることが大事

 高校時代、美大進学を考えていた佐藤さん。先生に相談したところ「塾に通ってきちんと勉強して練習しないと入れないよと言われて諦め」、一度は「普通の大学」に進んだ。だが、「あまりに面白くなくて」、1年後に受験して武蔵野美術大学に入学。卒業後はデザイン会社に就職するも、入社初日に「違う」と感じて即座に辞めたという経歴を持つ。その思い切りのよい決断力と強い意志こそが、今日の佐藤さんをかたちづくっているのかもしれない。

「そう聞くと、僕がすごく決断力があったふうに思われるかもしれないですけど、まったく逆で(笑)。単純に、無理をしないってことなんです。自分に嘘をついているときっていうのは、やっぱりわかるわけですから。

 会社に関して言うと、本当に机座った瞬間に『あ、無理だ』と思った。5年先どころか1年後も想像もできないし、ここで時間を捨てるのは嫌だなと直感的に思ってしまって。

 会社に勤めて机に座ってタスクをこなしていくほうが合理的なんだけど、嫌だって思う非合理的な気持ちはやっぱり無視できない。おそらくみんな、その気持ちを押し殺して社会で生きていくバランスをとって騙し騙しやっていくと思うんですけど、自分の場合はどうにもできなかった、というに過ぎないんです」

 もしもいま、かつての佐藤さんのように、自分の気持ちに嘘をついていると感じ、迷っている人に、アドバイスをするとしたら?

「僕、よくそういう相談受けるんですよ。写真展に来た人から、本当はいまの仕事はやりたくなくて、佐藤さんみたいに世界に行って写真やりたいんですとか、アシスタントにしてくれとか。

 そういうとき、常々言っているのは、いまの仕事は続けたほうがいい、そのうえで写真をやったほうがいい、ということ。単純に経済的な意味でもあるけれど、同時に、別の世界に属しているということが、いつか強みになるから。新しいものっていうのは、外側からじゃないとやってこないんです。自分しか持っていない仕事のコンテクストのなかで写真のアイデアがひらめくかもしれない。だから僕は、写真をやりたいっていう人は、この業界に無関係であればあるほど、むしろ可能性があると思っています。

 会社を辞めて、好きなことを仕事にしよう、っていうのは誰でも思いつくことだと思うし、簡単な話なんですけど、僕は、好きなことを続けられる環境をつくる、ということが、何より大事だと思っています」

(AERA編集部 伏見美雪)

※佐藤健寿写真展「U.F.O.」は 6月24日まで、キヤノンギャラリー S(東京・品川)で開催中

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