撮影:馬場岳人(朝日新聞出版写真映像部)

 私は5人きょうだいの長子長女で、女学校に行かせてもらってありがたかったという思いがあったので、卒業後は家の役に立ちたいと思っていました。

 父が現役だったので経済的に困っていたわけではありませんが、下の子たちに気兼ねなく進学してもらうにはお金があるに越したことはありません。

 だから卒業後に電話局に入局してから、お給料は全部家に入れ、自分のお小遣いは内職でまかなうことにしました。

 母からは「お給料からお小遣いを取ってもいいのに。残りを家に入れてくれれば十分だから」と言われましたが、「大丈夫。気にしないで」と断りました。

 このとき役立ったのが、女学校で身に付けた和裁の技術です。

 呉服屋さんから仕事を請け負って、ずいぶんたくさん縫いました。

 お小遣いとしては十分だったので、自分の着るものや指輪など、好きなものを買うのに不自由しませんでしたよ。

 まさに「芸は身を助く」ですが、より強くそれを実感したのが、ポーラの営業所長時代です。

 女学校で簿記を習ったとき、面白くて夢中になって勉強したんです。もともと算数が好きだったので向いていたのでしょうね。

 営業所長となると経理的なこともわかっていなければなりません。

 簿記の基礎を理解していたので、お金の流れをきちんと把握することができ、経理上の不安を感じることは一度もありませんでした。

 世の中って常に移り変わっていますよね。世の中の移り変わりとともに、自分の状況もどんどん変わっていきます。

 私の場合、目の前のことに熱中していたら、いろんなことを知ったり身に付けたりすることができ、それを糧に今まで生きてきたという感じです。

 

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