だが、7月になって年俸の問題から引き続きダイエーでプレーすることが決まり、ミッチェルは同21日に再来日。復帰初戦、29日の西武戦で5打数4安打。8月8日までの9試合で打率.455、9打点と打ちまくったが、ここで案の定と言うべきか、さぼり病が再発する。
翌9日のロッテ戦を右膝痛を理由に欠場すると、同11日に無断帰国。2週間で帰ってくるはずが、8月下旬になっても音沙汰なし。ようやく残り10数試合の9月初旬になって、「手術は成功したが、リハビリにもう少し時間がかかる」と知らせてきた。これでは“帰る帰る詐欺”も同然。球団側の忍耐も限界に達し、「シーズンが終わるころになって戻られても、こちらが困るだけ」(瀬戸山代表)とついに見切りをつけた。
その後、当然のように年俸の全額支払いを要求するミッチェルと裁判沙汰になるなど、最後の最後まで揉め、「金と共に去りぬ」と揶揄されたことも、今となっては懐かしい。
(文・久保田龍雄)
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