古舘佑太郎さん/撮影・松永卓也(写真映像部)
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 ミュージシャン・俳優として活動する古舘佑太郎さん。フリーアナウンサー・司会者の古舘伊知郎さんを父にもつ“二世”としての苦悩は大きくて根深いものだったといいます。ロックバンド「The SALOVERS」から「2」、そして「THE 2」と形を変えながら活動してきた14年間、古舘さんはバンドに何を託してきたのでしょうか。そしてバンドを解散して出た一人旅で得た気づきとは。(全2回の2回目/前編から続く)

【写真4枚】いわゆる二世みたいな見方をされることにコンプレックスを感じていた

心が完全に空っぽになった

――2017年に2というバンドを始めた頃には幼い頃からのコンプレックスにはけりがついていたということですが、一方で今度はバンドを続けていく中でミュージシャンとしての古舘佑太郎が彷徨い始めたように見えたんですよね。

 2はThe SALOVERSで感じたコンプレックス、過去の自分たちを乗り越えていきたいっていうのがあったんです。たとえば数字が取れないとか、ライブもキャパが小さいところから抜け出せないとか、当時はまだやんちゃで子どもっぽいままで終わってしまったから、今度はちゃんと仕事としてバンドをやるんだ、みたいな。ただ好きな音楽作ればいいじゃなくて、「ちゃんとみんなに届けるんだ」という。どんな手を使ってでも上に行くぞっていうのがすごい強かったんです。

――The SALOVERSの失敗というか、The SALOVERSではできなかったことをやるんだという。

 そう。後悔がそうさせたんです。だから結局、最後の最後まで倒れなかったのは僕一人だったんです。単純に年齢とか環境の変化によってみんながなかなかバンドにコミットできなくなってきて、そういうのが重なって気づいたら一人みたいな状態になっていたんですけど、それでも「まだ行くぞ」と思っていました。最終的に僕が全員の機材を運んで、みんなのスケジュールを調整して、機材車を運転して地方を回ってましたから。瀕死状態だけど、みんなが帰ってくるまで俺がやってやるって。

――それが最終的に解散に至ったというのはどういうことだったんですか?

 それまで僕は一度も「やめたい」と言ったことがなかったんですけど……でも最後、その時はサポートメンバーを連れて機材車で地方を回っていたんですけど、その時にふと来てしまったんですよね。その、ガソリン切れというか。心が完全に空っぽになっていた。ここから自分がみんなをサポートして待ちながら活動を続けていくためには、自分が人一倍強くなっていないと支えられないじゃないですか。でも今の自分にはそれができないって気づいちゃったんです。そこからみんなと話し合いをして。それでやるんだったらみんな120%、150%注ぎ込んでやれないと意味ないよねっていうので、結局解散ってなりました。

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