あらためて西田議員の発言と経緯を振り返っておこう。
西田議員は3日、那覇市内で開かれたシンポジウムで講演。シンポジウムは沖縄県神社庁と神道政治連盟県本部、日本会議県本部などが主催し、自民党県連が共催した。以下は8日付朝日新聞朝刊からの引用だ。
複数の出席者によると、記念講演者として登壇した西田議員は、「何十年か前」に訪れたというひめゆりの塔について、「今はどうか知らないが、ひどい。日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになっちゃった。そして、アメリカが入ってきて沖縄が解放された。そういう文脈で(説明を)書いている」などと持論を展開した。
さらに、「沖縄の場合、地上戦の解釈を含めてかなりむちゃくちゃな教育をしている。自分たちが納得できる歴史をつくらないと」とも述べた。
西田議員は7日、都内で開いた記者会見でこうした発言内容を認め、「日本軍が(沖縄に)入って戦争が始まり、アメリカが入って平和になったという文脈では、沖縄の方々は救われないという趣旨の話をした」と説明。自身が指摘した具体的な展示については「覚えていない。洞窟のようなところに入って、その展示を見た記憶がある。少なくともそういう印象が色濃く残っている」と述べ、発言を撤回しない考えを示した。
そもそもなぜ「ひめゆり」が批判の対象にされたのか。梶原さんの解釈はこうだ。
「西田議員はおそらくひめゆりの塔、あるいはひめゆり部隊の経験それ自体を否定したいというわけではなく、西田議員がそこにあったと認識している何らかの解説(西田議員の表現によれば『説明のしぶり』)において、『日本軍が来たから沖縄は戦場になり、アメリカが勝ったことで地獄が終わった』的なものを見た(聞いた)ということのようです。本人が『(ひめゆりの塔を含む沖縄に関する言説を受けて)そう感じた』というものなので、(ひめゆり平和祈念資料館などの)館内掲示にあるかないかの話ではないのでしょう。ひめゆり部隊はその象徴として名前を出されただけなのでは」
3日の西田議員の発言の背景については、こう解説する。
「西田議員の発言は反米思想から来るものと思われ、沖縄で『本来、住民を多く殺害している米兵に向けられるべき敵意が、戦闘における戦略の不在により住民を守り切れなかった旧日本軍に向いている』ことを不満に思っています。しかもそれはGHQの方針や戦後教育によって仕向けられているものだと認識しているからこそ、こうした発言になったのでしょう」
つまり、西田議員からすれば、現在(特に沖縄で)基調となり共有されている歴史観こそが、「(GHQや戦後教育によって)ゆがんでいる」と認識している。このため、「歴史をつくる(つくり直す)」ことで正常化すると考えているのではないか、というのだ。
そのうえで問題点をこう指摘する。
「『なぜアメリカに向かうべき敵意が雲散霧消してしまったのか』は、むしろ(親米)保守が突き付けられている問題です。アメリカに向かうべきだったものが国内に向いているため、思想の左右や沖縄と本土など、日本国内の日本人同士の対立に向かってしまっている面は確かに否めません。しかしそれを問題提起するために、沖縄の人々が大事にしているだけでなく本土を含む日本人全体が重んじるべき『ひめゆりの塔』を批判したかのように受け取れる言動は、国内の摩擦を高めることにしかなりません」
理解を求めたいのであれば、西田議員は批判を「切り取りだ」などとはね付けるのではなく、「ひめゆり部隊の犠牲に対して批判をするつもりは毛頭ない」ことを意を尽くして説明すべきだと梶原さんは唱える。そしてこう嘆いた。
「反米と言いつつも在日米軍の諸問題(女性への暴行や飲酒運転、ひいては地位協定)にはほとんどタッチせず、しかも沖縄に基地負担を強いている日本政府、という構図がある中で与党の国会議員である西田議員が歴史観『のみ』を取り出して沖縄を叱って見せるのは分断をさらに深めるだけだと思います」