他者とコミュニケーションを取ることが困難なため、対人関係を築くことが難しく、社会生活を送る上で支障が出てしまう「発達障害」。症状の現れ方は人によって異なり、現在でも認知度が低いため、成人後に社会に出て初めて、自分が発達障害だと気付く人も多いと言われています。



 ピアニスト・野田あすかさんも、支援を受けないまま成長し、成人後に発達障害と診断された当事者の1人。昨年2015年に、あすかさんが両親の野田福徳さん・恭子さんと共著で出版した『CDブック 発達障害のピアニストからの手紙 どうして、まわりとうまくいかないの?』には、両親の苦悩が赤裸々に綴られています。



 周囲から「感受性が強くユニークな子」と思われていたあすかさんが育った1990年代は、発達障害という言葉は教育現場でもあまり知られていませんでした。転機が訪れたのは22歳の時。2004年、留学先のウィーンの病院で、自閉症スペクトラム障害(※当時の診断基準では、「広汎性発達障害」)と診断されたのです。



 同書によれば、発達障害は脳の先天的な機能障害が原因であり、親の養育態度が原因ではありませんが、いまだに"親の愛情不足や、厳しいしつけのせい"とする誤解も根強く、母の恭子さんも「母親失格」と周囲から責められて追い詰められ、地獄のような日々を送ったこともあったと打ち明けています。



 父の福徳さんは、あすかさんが二次障害による解離性障害の発作を起こし、近所を徘徊するなどの症状が出た際には、お互いの手を縛って就寝した夜もあったと明かしているほか、障害のことを世間に隠し続けるか、公表するか、煩悶した日々を以下のように振り返っています。



 「あすかのことをいちばんに考えるならば、むしろ障害を認めてすべて明らかにして、その上でどうやって生きていくかを模索していくことのほうが大事なはずだと思ったのです」(同書より)



 あすかさんの就職結婚のことを考え、障害を公表しない方が良いという考えもありましたが、夫婦で連日深夜まで話し合った結果、親亡き後のことを考えて公表することがベストだという結論に至ったと語る福徳さん。



 「私たち親が先に死んでも、生まれつきの障害のあるあすかが、ひとりでちゃんと自立して生きていけるようになってほしい。そのために、できることはすべてやっていこう」(同書より)



 発達障害者の両親が、我が子の障害を告知されてから受容に至るまでの心境を、ありのままに綴った同書の言葉は、同じような発達障害を抱える子どもたちの保護者や支援者にとっても、力強いエールとなって響いてくるのではないでしょうか。