「排骨担々 五ノ井」店主の五ノ井誠さん(筆者撮影)

「これからは飲食で生きていく」

 最終的に、父のやっている飲食にチャレンジすることに決めた。長く父親の背中を見てきた中で、「これからは飲食で生きていく」と決めたのである。

 28歳で飛び込んだのが、麻布十番にある和食居酒屋「とらくまもぐら」だ。その後7年かけて料理の基礎を学んだ。独立することを踏まえて、他の店でも修業してみようと考えていた頃、「亜寿加」の人手が足りず、手伝ってほしいという話が出る。2006年、33歳の時である。

「父はこの時も料理長でしたが、仕事には厳しかったですね。昔ながらの職人で、一切の妥協はありません。自分には和食時代の自信もあるし、ぶつかることも多かったですね。結局、『亜寿加』では12年間働きました」(五ノ井さん)

 父の引退後は数年に渡り、調理主任兼店長を務めた。その後、渋谷エリアの開発で店の立ち退きの話が出てきた。東京オリンピックの開催が決まったことで東急が動き出し、ついに立ち退きが決まってしまったのだ。

 移転の話も出たが、渋谷の家賃は「亜寿加」が創業した50年前とは全く違っていた。結局、移転は難しいということになった。

「五ノ井」の排骨はスープにじゃぶじゃぶ浸してもカリカリ感が残って衣がほどけない(筆者撮影)

「オーナーからは、もし『亜寿加』を他の場所でやるなら任せると言っていただいたんですが、『亜寿加』の名前ではなく自分のお店として独立したかったんです。その思いを告げ、『亜寿加』の閉店前に退社しました。オーナーは『君の人生だから』と快く送り出してくれました」(五ノ井さん)

 こうして、五ノ井さんは「亜寿加」の閉店前から独立に向けて動いていた。しかし15年、父が末期がんで亡くなってしまう。五ノ井さんは独立に合わせて交際中だった幸子さんと結婚式を挙げる予定だったが、父は結婚式に出ることがかなわなかった。これは絶対に独立しなくてはと背中を押されたという。

 こうして、18年8月、「排骨担々 五ノ井」がオープンした。そしてそれから程なくして11月、「亜寿加」は51年の歴史に幕を下ろした。

「五ノ井」は「亜寿加」のDNAを受け継ぐ店として話題となった。しかし、それは長く続かなかった。

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