[撮影:蜷川実花/hair & make up Takayuki Tanizaki(Fats Berry) Takahiro Hashimoto(SHIMA)/styling Takeshi Sakazaki(StyleLAB.) Masashi Iimura(StyleLAB.)/costume kiryuyrik GALAABEND Obelisk]
[撮影:蜷川実花/hair & make up Takayuki Tanizaki(Fats Berry) Takahiro Hashimoto(SHIMA)/styling Takeshi Sakazaki(StyleLAB.) Masashi Iimura(StyleLAB.)/costume kiryuyrik GALAABEND Obelisk]
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 ミリオンヒットを連発し、時代を築いたGLAY。30周年を迎えた今も充実した日々を過ごす彼らが、大切にしてきたことがある。AERA 2025年5月5日-5月12日合併号より。

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──メジャーデビューは1994年。ミリオンヒットを連発し、音楽シーンを席巻した。

TAKURO:GLAYはビジュアル系出身で、ビジュアル系は激しいロックを鳴らすバンドが多かった。でも僕のルーツはフォークと歌謡曲です。まずMr.Childrenが「ロックバンドも汗臭く人生を歌っていいんだ」という土壌を作り、その後GLAYの「BELOVED」が生まれ、人生や青春を歌うロックバンドが増えていったのは日本の音楽シーンのひとつの転機だったと思います。

いじけなくて良かった

HISASHI:90年代はCDバブルの時代。音楽の存在感がどんどん増していきました。「90年代半ばはカラオケでいかにGLAYのバラード曲をうまく歌えるかということが重要だった」という話を最近よく聞きます。いろいろな場所でGLAYの楽曲からエネルギーをもらっていたという話を聞くと、自分が多くのギターヒーローからエネルギーをもらっていたように、下の世代にバトンを渡せたような気がして「頑張ってきて良かったな」と思います。

JIRO:ドームでライブをやり始めた頃のファンの方々の大半は女性だったこともあり、ロックキッズからの声はあまり届きませんでした。数年前から「GLAYがきっかけで楽器を始めました」という声が届くようになった。昨年、[Alexandros]が主催する初めてのフェスに誘ってくれた時は嬉しかったです。

TERU:SUPER BEAVERの柳沢亮太はお父さんもギタリストで僕と同じ函館出身。亮太が小学生の頃から知っているのですが、その頃彼が部屋に飾っていたのがGLAYのポスター。昨年GLAYが初めて出演したSUMMER SONICでSUPER BEAVERが演奏している姿を見て感動しました。

TAKURO:子育てが一段落してGLAYのライブに子どもや親を連れて戻ってきてくれた人たちの声が耳に入ってくるようになりました。動員が落ちた時期があったんですが、僕はこの4人でわいわいやるのが好きでGLAYを続けているので、そこまで深刻に受け止めていなかった。「いじけなくて良かった」と思いました(笑)。後輩にも「ファンの方は決して離れたわけではない。良い曲を作って良いライブをしていれば10年後くらいに戻ってきてくれる」と話しています。この30年間で揺るぎない自信をファンの方々からいただきました。

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