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 空中飛行に、狐の妖術。室町幕府の実権を握った細川政元は、戦国時代の引き金を引いたキーパーソンでありながら、魔法習得の修行に没頭した、史上稀に見る権力者だ。

 彼はオカルト的な逸話や奇行で知られ、ほかにも比叡山の焼き討ちなど、織田信長の先例になるような大胆な行動を次々に起こした。

 長年細川氏の研究をしている武庫川女子大学の古野貢教授は、著書「オカルト武将・細川政元」の中で、「細川政元は、室町時代と戦国時代を繋ぐ重要人物であり、その革新的な行動は時代を変える力を持っていた」と指摘している。新刊「『オカルト武将・細川政元 ――室町を戦国に変えた「ポスト応仁の乱の覇者」』(朝日新書)」から一部を抜粋して解説する。

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 皆さんは細川政元という人物をご存知でしょうか。室町時代の後期、いわゆる戦国時代が始まった頃に活躍した武将です。日本史の授業でも出てこないわけではありませんが、知名度はそれほど高くありません。

 知名度で言えば、政元の父、細川勝元の方がずっと高いはずです。応仁元年から文明九年まで、十一年の長きにわたって行われた「応仁の乱(応仁・文明の乱)」。足利将軍家の人々および室町幕府の有力者たちが東西両軍に分かれて争ったこの内乱において、勝元は東軍の総大将という立場を務め、西軍の総大将である山名宗全と戦いました。

 応仁の乱は長い間、「この内乱によって室町幕府が崩壊し、将軍家も権威を失った」と考えられていましたから、日本史の授業では必ず扱われます。試験対策で勝元・宗全をはじめとする両軍の主要メンバーの名を暗記した人も多いのではないでしょうか。

 この父と比べると、政元の知名度は明らかに見劣りします。しかし、政元は血筋からして特別な人物です。彼の父は勝元ですが、母方の義父は山名宗全。つまり、応仁の乱における東西両軍の総大将の血脈を引いているのです。

 その二人の総大将が応仁の乱の中盤に揃って亡くなったあと、政元は幼くして父の跡を襲って名門武家である細川氏を継ぎました。そして応仁の乱終結後の幕政に深く関わって活躍し、ついには明応二年、「明応の政変」を引き起こします。政元が主導して時の将軍・足利義材(よしき)をその地位から蹴落とし、代わって足利義澄という新たな将軍を擁立する、というものでした。

 これはクーデターともいえるもので、将軍と幕府の権威はかつてないほど失われました。そのため、近年ではこの事件をもって戦国時代の始まりと評価することが多くなってきました。そして政元はこの政変をきっかけに〝ポスト応仁の乱の覇者〞として実権を握ることになります。つまり政元は、いわゆる「室町時代」と「戦国時代」を繋ぐ歴史上の重要人物であるのです。

 また政元は、オカルト的な逸話を数多く持っていることでも知られています。彼は呪術や修験道にハマっていて、その傾倒は度を越していたようです。自らが大将を務める戦の最中に、あろうことか東北での天狗修行を口実に陣を放り出そうとしたこともありました。

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