
小松さんは現在、「登龍門」でネタの仕入れから仕込み、握りまで任されている。
「初めて握ったお寿司を提供したとき、お客様がぱっと目を見開いて、『おいしい』って言われたんです。その夜は思わず涙しました。私がずっと求めてきたのは、こういう喜びを得られる仕事だったんだと実感しました」
これはテレワークでパソコンとにらめっこを続ける仕事では決して味わえない。そう考えると、感慨もひとしおだったのだろう。
「飲食業はヒューマンオペレーションの典型。繊細さと器用さ、細やかなコミュニケーション能力も求められますが、これは日本人が得意なスキルといえます。中でも、寿司職人はものすごく潜在的競争力が高い分野の一つです。日本の寿司職人がニューヨークやパリなど世界の大都市で年収数千万円稼ぐ事例をよく耳にしますが、それも理にかなっています」
こう評価するのは著書『ホワイトカラー消滅』(NHK出版新書)で、これからは「アドバンス」(高度化・進化)なノンデスクワーカーが新たな分厚い中間層として浮上する、と予見する冨山和彦さんだ。
日本の内需はこれから確実に先細りしていく。そんな中、勢いがあるのはインバウンド需要に支えられた観光業だという。冨山さんはこう強調する。
「近い将来、観光産業が自動車産業を追い抜いても不思議ではありません。観光産業が日本の基幹産業になるという意味において、宿泊業や飲食業は間違いなくエッセンシャルな仕事として認識されていくはずです」
冨山さんが「脱ホワイトカラー」のリスキリングの事例として挙げるのが、ヘアサロン「QBハウス」のスタイリストの職だ。QBハウスは、キュービーネットホールディングス(東京都渋谷区)が手がけるヘアカット専門店。「10分の身だしなみ」というコンセプトを掲げ、主に男性客をターゲットに、カットのみで短時間、低価格のサービスを提供している。
ここに今、大企業のホワイトカラーの経理や総務といった事務職を離職し、スタイリストとして転職する40~50代の女性が増えているという。同社広報は「コロナ以降、人との関わりを大切にする仕事に就きたいと他業種から入社する方が男女問わず増えています。今は全体の1割程度ですが、今後さらに増えると見込んでいます」と説明する。
同社で働く大きな魅力は「定年がない」こと。広報によると、一般企業で事務職として定年まで働いた後、理・美容専門学校に通い、「63歳の新卒」として入社したケースもあるという。
同社は資格を取得したばかりの未経験者を店舗でのアシスタント業務や雑用などを経ず、入社後6カ月間、就業時間の全てでヘアカットサービスのトレーニングができる「ロジスカット研修生」として正社員採用しており、こうした制度が転職者の受け入れを後押ししている面もありそうだ。冨山さんは言う。
「ホワイトカラーが企業で身に付けてきた『スキル』と言えば、その多くは所属する企業固有の処世術です。経験豊かなシニアになるほど、地位が上がるほどそうなっていく。これから求められるのは、その組織の中でのみ通用する処し方や業務ノウハウではなく、個人の技芸あるいは技能です」
さらにこう続けた。
「グローバルな価値をもつ『スーパースキル』を手にできるのはほんの一握りの人でしかありません。丸の内や大手町で働いていたホワイトカラーは、どうしても同じ場所で次の道を探そうとしますが、そもそも人手の余剰感があるグローバル企業で求人はそうそうありません。オフィスの狭い空間で生きてきた人たちは、外に出て、世界に広く目を向けてほしい」