大島新さん(左)と小川淳也さん (撮影/朝日新聞出版写真映像部・佐藤創紀)

小川 トランプが今、ウクライナとロシアを停戦させようとしてますよね(2025年3月6日現在)。どんな形であれ、いずれ戦争は終結します。それはとても大事なことなんだけど、おっしゃるように、そこで失われる誰かの自由はどうなるのか。「対話は平和裡に行われるべき」とか「力で領土を奪ってはいけない」っていう価値感は、果たして尊重されるのか。
 あるいはその価値感のために、最後の一人の血の一滴が流れつくすまで、戦うべきなのか。
 歴史の常として、戦争というものは始まってしまったら、行くところまで行かざるを得ないんです。だから絶対に、戦争を始めてはいけない。何としても避けなければいけない。
 もうちょっと時代が下ったら、厳しく検証すべきだと思うのは、プーチンとゼレンスキーは何回会って、何時間話したのかということ。戦いを回避するための努力を、どこまでしたのかと。
 たとえば、和田さんの本(文庫時給はいつも最低賃金~)にあるように、僕と和田さんは一時期激しく対立しましたが、最後は対話で乗り越えた。あの体験こそが貴重なんです。大げさなことを言うようだけど、国と国でも同様だと思う。話し合える可能性や希望が捨てきれないうちに殴り合うことはない。
 繰り返しますが、戦争は始まってしまったら終わりなんです。

大島 だからこそ、戦争の前段階として、政治や外交があると?

小川 それしかないです。

大島 それ自体も近代以降の価値観ですよね。植民地時代には、ヨーロッパの列強が南米やアフリカに攻め入った。問答無用に、まったく武器を持たない人たちのところへ攻め入ったわけですから。

小川 もしも時代がそこに逆戻りするなら、もう、人間やめたいですね。もはや人であることに誇りが持てない。何としても阻止するために、最後まで戦う。それ以外、何も言えないです。

和田 小川さんと私の対立の先の対話には、ネガティヴ・ケイパビリティのチカラが働いたからだと思います。外交の基本にもそれが必要。軍隊はネガティヴ・ケイパビリティが無効になってしまう存在で、戦争に突き進んでしまう。とにかく外交で話しあうこと、あきらめずに話し合うことを世界のリーダーたちはしてほしい。

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