「玉木は、文化祭のテーマをドイツ語の『アウフヘーベン』(拾い上げる、破壊するなどの意味)とつけたんですよ。うちの高校はドイツ語の科目なんてなかったし、みんながわからないことを知っているから、そんなテーマをつける。ちょっと鼻につくというか、煙たがられるところはありましたね(笑)。ドイツ語がわからない者からしたら、自慢気に感じるじゃないですか」
玉木氏は、文化祭のステージにも上がり、演奏した。
「玉木は、当時100万円くらいするヤマハの最新のキーボードを買って平気で運んできて、演奏していました。そういうところを、感じ悪い、と受け取る人は昔からいましたよ。だけど、彼的には気付いてないだけで嫌みはゼロなんです。そういう性格だとわかっていれば、かわいく見えるんです(笑)」
自分ができることはみんなできると思っている
玉木氏は、高校時代は陸上部に入っているわけではなかったが、走るのは速かったという。運動も音楽もできたわけだ。そして頭脳も。
高校を卒業すると、1年浪人して東大法学部に入学。大学では陸上運動部に入り、十種競技の選手になったという。
「十種は走り高跳び、走り幅跳び、やり投げ、円盤投げ、110mハードルなど幅広くこなせなければいけない。彼は多才でオールラウンダーなんですね。さらに、自分ができることはみんなできると思っているところがある。場の雰囲気を全然読まずに、バーッと突っ走るところがあるんです」
東大を出た玉木氏は大蔵省(現・財務省)に入る。エリート官僚まっしぐらである。その後、大蔵省を辞め、2005年に民主党公認で香川2区から立候補。落選するも4年間の浪人生活を経て、2度目の挑戦で当選した。
「大学も選挙も浪人したけど、それも後で役に立ったようです。国民目線でものごとを見られるようになった。香川2区には自民党の強い議員がいたので、玉木は自民党から出馬できなかったんですよ。空きがあれば当然、自民党から出ていたと思います。玉木がやりたいことは、同郷の大平正芳元首相が掲げていた『田園都市構想』ですからね。玉木はその考え方に今も共感しています」