
「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。
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新年度になり、このコラムの連載も5年目に入りました。いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。連載が始まった頃は中学生だった双子の姉妹は18歳になり、先月、医療的ケアが必要な長女(重症心身障害児)は小学部から12年間通った特別支援学校を、次女は幼稚園から15年間通った一貫校を卒業し、それぞれ新しい生活がスタートしました。せっかく双子として生まれてきたのに、幼稚園に入る時から別々の場所へ通わなければならず少し切なく思ったこともありましたが、振り返ってみると、それぞれにぴったり合った素敵な学校に出合えたと思っています。今回は双子の娘たちの卒業と新生活について書いてみようと思います。
悲しそうに涙を流した長女
我が家の子どもたちは、双子の姉妹と年子の弟の3人きょうだいのため、息子が生まれた直後からずっと三つ子のように育ってきました。幼い頃は基本的に24時間一緒にいて食事の時間も同じだったため、子どもたちがトイレに行くタイミングもほぼ同じことに驚いた記憶があります。そんな生活を3年ほど送った後、長女は児童発達支援センター(障害のある子どもが療育や訓練などを受ける通所先)へ、次女は幼稚園から高校までの一貫校の付属幼稚園に通うことになりました。
この頃には、私は長女の障害を受け止めることはできていたものの、「双子」という部分にはこだわりを捨てきれず、入園後しばらくは「ゆう(長女)が健常児だったら、一緒に幼稚園に入園できたのに…」という思いが続きました。さらに長女は、赤ちゃんと同じように「人見知り」や「場所見知り」が始まり、先生の顔や通園の教室を見るたびに泣いていました。とても悲しそうに弱々しく「ふえ~ん」と涙を流す長女を見るとかわいそうでしかたなく、「こんな思いをさせてまで通園させる必要があるのかな」と考えたこともありました。
ところが、親子ともに長女の通園先や次女が通う幼稚園に慣れてくると、どちらの環境も先生の温かさと熱心さを感じるようになりました。永遠の赤ちゃんだと思っていた長女は、個別支援を受けることで笑顔もできることもどんどん増えて行き、人見知りでおとなしかった次女は歌うことが大好きになり、家庭から離れてクラスの中で育つ意味を知りました。