プーチン大統領代行、初仕事でエリツィンに「免責特権」
エリツィンは、1999年の年末にプーチンを「大統領代行」に任命した。プーチンはその直後、初の行政命令を施行、エリツィンに対する免責特権を認めた。プーチンはエリツィンに免責特権を付与したのと引き替えに、権力を掌握したのである。FSBの組織を通じて得た情報から、エリツィンの汚職の事実を確認して、エリツィンを脅し、自分を抜擢させた可能性は十分あり得る。
米国にロシア再建の戦略はなかった
一連の事実は、米国政府が冷戦の終戦処理に失敗したことを意味する。米国は、エリツィンとクリントンの個人的関係に依存するだけで、ロシアの真の民主化と改革を本気で支援しなかった。第二次世界大戦後、米国は西欧の復興に向けて「マーシャル・プラン」を実施した。それほどの復興計画をロシアでも実行していたら、事態は大きく変わっていただろう。だがエリツィン政権の時代もロシア市民が飢餓と貧困に苦しむ現実は続いた。
米歴代政権の外交戦略の決定事項は、全米科学者連盟(FAS)が調査してリストアップしている。対ソ強硬戦略を続けたレーガン政権の文書はFASで入手できる。だがソ連崩壊後に、米国がロシア市民を支援する戦略はリストにはなかった。
米国の対露戦略の最悪の結末は、元スパイのプーチン大統領による独裁政権に道を開いたことだった。プーチンはその後、小麦など穀物の生産増にも取り組み、ロシアを世界最大の小麦輸出国に発展させた。その結果が支持率に示されている。飢餓と貧困に苦しんだゴルバチョフ時代とは違うのだ。