
爆弾テロは「偽旗作戦」か
この時期、ロシアを取り巻く情勢は、緊張の度を高めていた。
第1に、ロシアからの独立を求める南部チェチェンで内戦が深刻化していたことだ。1999年3月には内務省のゲンナジ・シュピグン大将が拉致され、イスラム勢力に殺された。イスラム勢力はロシア国境を越え、ダゲスタン共和国に戦火が拡大。それに伴い、1999年8~9月にかけてモスクワなど都市部のアパートを狙った爆弾事件が続発した。計4回の爆弾事件で死者300人を出したと伝えられている。
これらの爆弾事件を理由に、プーチンは「第二次チェチェン戦争」に踏み切った。しかし、事件の信憑性についていくつか疑問が指摘されていて「偽旗作戦」の可能性がある。偽旗作戦は「敵」側の行動と見せかけて自ら行う工作のことだ。
たとえばこんな奇妙な事件も明らかにされている。9月23日に電話交換手が奇妙な電話の会話を探知して、捜査が行われ、爆弾を所持していた複数の人物が逮捕された。ところが、彼らがFSBのIDカードを所持していることが判明、直ちに釈放された。翌24日、プーチンの後任のパトルシェフFSB長官が「テロ対策の訓練」をしていたとおかしな釈明をしたというのだ。
真相はなお不明だが、プーチンが連続爆弾テロをイスラム勢力の犯行と断定して、ロシア軍がチェチェンに侵攻し事態を収拾、国民の支持を得たのは確かな事実だった。
消えたIMFの融資金
第2の問題は、エリツィンに対する汚職の追及が急を告げていたことだ。
エリツィン大統領は財政も金融政策もデタラメで、その上自分自身が腐敗していた。エリツィン自身と2人の娘は、クレムリンの修復工事などを受注したスイスの建設会社、マベテクスから計100万ドル単位のわいろを受け取っていた疑いがある。同社はハンガリーの銀行口座に計1000万~1500万ドルもの金をプールして、エリツィンら政府高官向けのさまざまな支払いに充てたという。
そんなことがスイス捜査当局によって明らかになった。これに対し、エリツィンはロシアのユーリー・スクラトフ検事総長らを配置転換して捜査を逃れていた。3番目は1998年8月17日、ロシアが債務不履行(デフォールト)に陥ったことだ。債務返済の期限内に返済できず、通貨ルーブルは暴落、経済は大幅に収縮した。
実はその3日前の8月14日、前代未聞の不祥事が起きていた。国際通貨基金(IMF)からの48億ドルもの融資がロシア中央銀行に送金されたが、その直後に消えてしまったというのだ。ロバート・ルービン米財務長官は1999年3月19日の議会証言で「不正に流出した」可能性に言及した。新興財閥「オリガルヒ」の手でスイスなど秘密が守れる国の金融機関に移動させたとも言われる。国際的な公金を誰が動かしたのか、真相は不明だ。