
今年2月11日に作家・司馬遼太郎さんの自宅があった東大阪市で行われた「菜の花忌シンポジウム」。「空海の風景」をテーマに、一つ目の柱「四国の室戸岬」、二つ目の柱「国際都市・長安」について語られ、話は三つ目の柱に移っていく。AERA 2025年3月17日号より。
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明星が口に飛び込む体験をした室戸岬、国際都市・長安との出会い。「空海」を考えるシンポジウム前編はこちら。
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司会・上田早苗:「菜の花忌シンポジウム」で触れなければいけない三つ目の柱は、空海と最澄との関係です。
《この時期、最澄の借経がつづいている。そしてしきりに叡山で筆写している。(略)なんだ、あの男は。と、空海は、自分の思想からみて、鬱懐がつのったはずである。経を読んで知識として教義を知ることは真言密教では第二のことであった》
磯田道史:体験や体感をどれくらい重視するかなんですね。例えば「菜の花とは?」とAIに聞いたら、「アブラナ科の植物でどうのこうの」とたちどころに答えるでしょう。だけど、本当に菜の花をわかろうとするならば、やっぱり食べてみたら苦かったというようなわかり方もある。空海は宇宙スケールの営みのなかに教えを位置づけ、体感、体験することで、文字や頭以外でわかることがある、と考えました。まっとうな考えです。
釈徹宗:最澄が輸入したのは天台という、みごとに仏教全体を体系化した壮大な思想ですが、そこでは密教は構成要素の一つなんですね。一方の空海は、密教で全仏教を読み替えるというような作業を完成させる。この二人を対比して書けるということが、司馬さんの物書きとしての食指を動かしたんじゃないか。
上田:同じ遣唐使船に乗って唐に渡る。同時代にこの二人がいたということがまず胸を打ちます。でも、すれ違っていく。
辻原登:二人の違いは結局、長安を見たか見なかったかに尽きると思います。最澄は長安に寄らないで帰ってきた。天台山までいって、天台宗の教本を持って帰ったら、「もうこれで役割は済んだ」と。
澤田瞳子:気のせいかもしれませんが、司馬さんの筆がいちばんいきいきしているようにみえるのは、空海が最澄をののしってるシーンです(笑)。