
偉大な宗教者を書く一方で、その宗教者を裸にしている点が非常に強い。最初のほうで、「もし空海が大山師とすれば、日本史上類のない大山師にちがいない」とあるのも珍しい書き方だと思うのですが、最澄のことを、「その後半生は苦渋にみち、空海の体系に圧迫され」云々と。この最澄論だけでも、読む意義があると思うんです。宗教者としての対立を書きながら、人間同士、男同士の感情的な部分とを重ね合わせて書いている。
上田:四つ目の柱を高野山としました。磯田さんは高野山をどうお考えになりますか。
磯田:自分が生まれた善通寺と同じ緯度のところに、わざとつくっているわけですね。そこで入定(にゅうじょう)すれば、宇宙の営みのなかで再生して、というようなことを考えたんじゃないですかね。空海にはいまも毎日、ご飯が供えられていますね。「昨日は何を召し上がりました?」とご飯を用意しているお坊さんに聞くと、「チャプチェ」と(笑)。また、「スパゲティも召し上がります」とおっしゃる。「さすが空海」と思いました。
澤田:最澄は、山に籠もって長年修行していたということで、桓武天皇から信頼を受けますが、比叡山はしょせんは京都から見える山でもあるわけです。1日で下りて帰っていける。「じゃあ自分はどうなんだ?」と思ったときに、高野山との距離感が空海にはあったんじゃないかと思います。
釈:密教を一大体系に変換するにあたり、「場」が必要だった。山の信仰と密教との組み合わせということだと思います。
友人に『ボクは坊さん。』という本を書いた白川密成くんという真言僧がいます。高野山での修行仲間と久しぶりに集まってお酒を飲んだら、みんな、日々の暮らしがつらいと泣き出す。そしたら1人が、「そうだ、お山に帰ろう」って。僕、しんどいときでも、「そうだ、本願寺に行こう」とはまったく思わないですからね(笑)。すごいですね、山の力。
辻原:もう一つ、いいですか? 書ですよ。融通無碍(ゆうずうむげ)というか、すべてを超えるのが、空海の書であると。書家の榊莫山の話を引用しながら、「空海はいったいどこにいるのか?」と問いかける。そして空海はどこにもいない、零なんだ、と司馬遼太郎は最後に空海の本質を言い当ててる。ここにタイトルの重要な部分、空なる風景、宇宙のなかに溶け込んでいる空海という風景があると、僕は思った。
上田:司馬さんが空海に近づきたいと思いながら書き進めたということですね。